多糖水溶液の熱容量とガラス転移−プルラン水溶液

    

プルランはグルコース三単糖であるマルトトリオースからなる繰り返し構造を持つ水溶性多糖であり, 溶液中のプルランの主鎖は,単一鎖で非常に屈曲性に富む構造であることが知られています. これまでに私たちは,三重らせん多糖シゾフィラン水溶液の熱容量を測定することで, 高分子主鎖の近傍に存在する水の成分についての熱力学的構造を明らかにしてきましたが, 成分の状態についてはシゾフィラン水溶液のみでしたので, 多糖高分子の水溶液について一般的な解釈を行なうには実験データが不足していました. そこで今回は,シゾフィラン水溶液と同様の実験手法でプルラン水溶液の熱容量を測定しました.

プルランは,分別沈殿法により分別・精製した試料を測定に用いました. 試料の重量平均分子量Mwと分子量分布 Mz/Mw は, Mw= 13.1×104 g mol−1Mz/Mw = 1.06 です.凍結乾燥した試料を重水に溶かし, 熱容量を断熱法により測定しました.溶液の濃度は重量により決定しました.

Heat capacities Fig. 1. Heat capacities of D2O solutions of pullulan with indicated weight fractions. Each plot is shifted upward by the values in the parentheses.

Entropy of fution Fig. 2. Plots of the fusion entropies per 1 mol of D2O in the solutions and the number of bound water.

Fig. 1は溶液の重量濃度が 17.81wt%,42.96wt%のプルラン重水溶液の熱容量の温度依存性です. 図中の実線は,溶液の重量濃度に相当する重水氷とプルランの熱容量の合計を示しています. この濃度領域では,溶液中に融解しうる重水(自由水)が存在しますので, 276 K付近に大きく鋭いピークが見られます. 得られた融解エントロピーからプルランの繰り返し単位あたりの結合水(あるいは束縛水)量が約8分子と計算できます. Fig. 1 の内挿図は溶液に重量濃度が 74.20wt%,78.64wt%,88.50wt% 溶液と, 乾燥プルランの熱容量です.1 g当たりの乾燥プルランの熱容量は, 乾燥シゾフィランとどの温度でもほぼ同じ熱容量でした. この2つの高分子はグルコースのみからなる繰り返し構造を持っている点で同じ化学構造ですので, 乾燥状態での熱容量は一致したと考えられます. また乾燥試料の熱容量は温度に対して単調な依存性です. 溶液中とは対照的に,乾燥状態ではプルランの主鎖はガラス化しており「堅い」といえます. 一方で,74.20wt%,78.64wt%,88.50wt% のプルラン重水溶液では,重水の融解ピークが見られません. 以下で述べますように,これらの溶液中の成分は結合水とプルランのみであるため, 融解する自由水が存在しないためです.これらの溶液の結合水量は,溶液の重量分率から直接計算しました.

Fig. 1中の熱容量と実線との差は過剰熱容量と呼ばれています. 乾燥試料を除くいずれの溶液でも,溶液の熱容量は100 K 付近までは, 固体の重水とプルランの熱容量の合計にほぼ一致しますが,約 150 K 以上では過剰熱容量が存在します. この温度領域では,主鎖の運動は凍結していますが,高分子主鎖近傍に存在する結合水の数と運動状態の積が熱容量に寄与するため,加成性が成り立たないと考えられています. 上記で計算した自由水として融解する重水1モル当たりの融解エントロピーと結合水量の濃度依存性をFig. 2でプロットしました. Fig. 2 に見られるように,結合水量は 74.2wt% で折れ曲がります. この臨界濃度以上では,溶液の重量分率の溶質と結合水量の飽和溶液となっていることがわかります. 臨界濃度以上の溶液に対する融点の過剰熱容量の値は,結合水量に比例しますので, 過剰熱容量が結合水の運動に起因していることが確認できます. このような臨界濃度を他に持たないことから, 水溶液中のプルランはシゾフィランで見られたような構造水が形成されていないことがわかります.

Fig. 1の内挿図に示す溶液条件では,低温で見られるブロードなガラス転移とは別に, 溶液の熱容量は溶媒の融点以上の温度で,明確な階段状のガラス転移を起こします. このガラス転移は,結合水が十分運動するような高温条件で起こります. またガラス転移温度は,結合水量の減少に比例して上昇しますが, これは結合水と協同して運動する主鎖を観測しているためと考えられます. 結合水量は,希薄な溶液ではプルランの繰り返し単位当たり8分子ほどですが, 高濃度条件では結合水は少なくなっていますので,結合水を介さない主鎖の絡み合いの相互作用が生じ, ガラス転移として観測されたと考えられます. 希薄溶液中では,結合水が十分存在するので,プルラン主鎖は周りの氷の融解の時にガラス転移するため, 氷の融解ピークに隠れていると考えています. 溶液中で柔軟な主鎖構造をもつためには,結合水との協同性を考慮する必要があるのではないでしょうか.

(吉場一真,三輪久美子,宮崎裕司)

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