研究室で過ごした日々(鈴木晴 博士)

私は,2005年4月から2012年3月の7年間,当センターで(学生あるいは博士研究員として)お世話になりました.もともと集団の挙動に興味があり,学部1回生のときに耳にした徂徠先生(当時センター長)の「熱力学は(木ではなく)森を見る学問です」という言葉に心を動かされて,4回生の研究室配属で本センターを希望しました.研究では,稲葉先生の直接の指導を仰ぎ,学部から修士課程の途中までは液晶物質の熱力学的な研究を,修士課程の後半からは分子固体における部分重水素化メチル基の配向秩序化に関する研究を行いました.

液晶の研究では,極低温から精密に熱容量を測定することで,基本的な熱力学データである熱力学関数を導出し,液晶相や結晶相の熱力学的な安定性を調べました.この研究で印象に残っているのは,可逆経路で計算するエントロピーと不可逆経路で計算するエントロピーとが明確に異なることを実際に確認して,熱力学第2法則を身近に感じたことでした.メチル基配向秩序化の研究では,部分重水素化によって回転対称性が破れたメチル基が余分の回転エントロピーRln3を低温で放出することを見出しました.この研究で印象に残っているのは,「原理的に区別できる微視的な状態」が量子力学的にいかに定義され,統計力学を経て,どのように熱力学第3法則に繋がっていくかを再認識できたことでした.

センターに在籍して恵まれていたと感じる点は,思う存分勉強ができる環境にあったことです.センターに配属されて間もなく,自身の科学知識の乏しさを痛感して,熱力学や量子力学,統計力学を基本から勉強し直すべく学生を集めて輪読会を始めました.この輪読会は,センター滞在中の全期間途切れることなく継続され,物理化学の基礎的な力をつけることができました.心折れずに最後まで付き合っていただいた学生の皆さんと,それを温かく見守っていただいた教員の方々に心から感謝しています.センターに在籍してもう一つ良かったことは,海外からの研究者が断続的に滞在するため,英語によるコミュニケーションのトレーニングを継続的に行えたことです.様々な国や地域の日常感覚やサイエンスに対する考え方に触れることができたことも望外の収穫でした.

現在,私は,理化学研究所のテラヘルツイメージング研究チームで研究員としてテラヘルツ(THz)分光測定および分光器作製に従事しています.THz波は,(定義が人によって多少異なりますが)0.1 - 10 THz (3 - 300 cm 1)の遠赤外光です.この周波数領域は,電波技術の高周波数側の限界と光学技術の低周波数側の限界の谷間に位置することからTHzギャップと呼ばれ,その技術開発が長年の課題となっていました.近年になって高強度のTHz光源が現れるようになったほか,光伝導アンテナなどを用いたTHz時間領域分光法の発達によって,より容易にTHz分光測定が行えるようになってきました.このような背景から,THz領域の分光測定で何か面白いことが見つかるのではないかという期待が高まっているところです.THz領域で観測される主な分子運動は光学フォノンモードで,THzスペクトルは分子の集合状態を反映します.このことを利用して,THz分光から,集合状態に関する何らかの有用な知見が得られないか現在模索しているところです.今後とも,センターで学んだ基礎科学研究を行う上での慎重な姿勢を維持しつつ,よりダイナミックに研究を展開させていきたいと考えております.

最後に,センターでお世話になった皆様に感謝申し上げます.とりわけ,直接ご指導いただいた稲葉章先生には厚くお礼を申し上げます.7年間一貫して,温かく,筋の通った姿勢で向かい合っていただきました.これからも,センターが益々発展されることを祈念いたします.

(鈴木晴)

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