磁気容易面をもつFe(II)-Fe(III)交互単一次元鎖磁石における特異な熱的性質

 

磁石とは,ある温度以下でスピンの方向が一様に揃いマクロな磁化を示している状態を指し,ハードディスクなどの磁気記録媒体などに用いられている私たちの生活と密着しています. 磁気記録媒体の高集積化のための磁石サイズのダウンサイジングは重要であり,そうした研究は広く行われています. こうした観点から,1つ1つの分子がミクロなレベルで磁石として振る舞う単分子磁石(Single Molecule Magnet: SMM)やSMMが1方向につながり独立した鎖状構造をつくった単一次元鎖磁石(Single Chain Magnet: SCM)金属錯体など,ナノ磁石と総称される物質が開発され,その特異な磁気的性質が注目を集めています. たとえば,電子スピンが1軸異方性の極めて強いIsingスピン的になるため,強い負の異方性相互作用があらわれるSMMでは,逆方向のスピン状態の間に存在する高いエネルギー障壁のため,低温でスピン反転が凍結するブロッキングという現象が知られています. SCMも基本的にはSMMと同じ性質を示し,スピン反転の凍結に関係した独特のダイナミクスがあらわれますが,磁石となる1単位が分子ではなく1次元鎖であるため,理想的にはSMMよりも強い磁石として振舞うことが期待されます.

Fig. 1 Fig. 1. Heat capacity of catena-[Fe(ClO4)2{Fe(bpca)2}]ClO4 under magnetic fields applied perpendicular to the chain axis. The broad anomaly corresponding to formation of a short range ordering is observed around 1.18 K and a sharp peak corresponding to a long range ordering is observed around 1.03 K.

Fig. 2 Fig. 2. Heat capacity of catena-[Fe(ClO4)2{Fe(bpca)2}]ClO4 under magnetic fields applied parallel to the chain axis. The profile of the temperature dependence of heat capacity was found to be very sensitive to the magnetic field.

今回我々は,2極小ポテンシャルを持たない磁化容易面型のSCMであるFe(II)-Fe(III)交互鎖状錯体catena-[Fe(ClO4)2{Fe(bpca)2}]ClO4に注目し,その熱容量を測定しました. この物質の主なスピンは酸素の八面体配位を受けたhigh-spin状態の鉄(Fe(II): S=2)であるためSMMとは異なり磁化容易面型の磁気特性を持っていますが,窒素による配位を受けたlow-spin状態の鉄(Fe(III): S=1/2)と90°ねじれて交互配列した鎖状構造を形成しているため,1次元鎖全体としては鎖全体としては鎖方向に磁化容易軸を持つと考えられています. また,鎖間の鉄同士の距離は10 Å以上離れているため,磁気的に孤立した状態となっています. この物質は,交流磁化率測定において,SCMの特徴である周波数依存性が3 K以下で観測されており,従来の1次元方向にSMMを連ねた構造のSCMとは異なる新しい型のSCMであると考えられます. こうした新しい型のSCMであるcatena-[Fe(ClO4)2{Fe(bpca)2}]ClO4の物性,特に磁化率周波数依存性などが見られる3 K以下におけるスピンの振る舞いは興味深く,SCMの研究において重要であるといえます.

Fig. 1に示した鎖に垂直な方向から磁場を印加した場合の熱容量測定では,1.05 Kをピークトップとするシャープな熱異常と1.18 Kをピークトップとする熱異常が観測されました. ブロードな熱異常は磁場によって高温に大きくシフトし,シャープな熱異常は100 mT程度の弱磁場により抑制されました. 鎖に平行な方向に磁場を印加した場合(Fig. 2)は,一次元鎖に垂直に磁場を印加した場合と比べ敏感な磁場依存性を示し,この物質が磁化容易面型の異方性相互作用を持ちながら,1軸異方性の強い磁場依存性を示すことが確かめられました. 特にブロードな熱異常の磁場依存性はそれぞれのFe(II)スピンが受ける単純なZeeman効果では説明できず,この系の有効スピンモーメントが低温で増大していると考えられます. 一方,1.03 Kに確認されたシャープな熱異常は,形状から長距離磁気秩序の発達を示唆するものと考えられますが,その際に発生するスピンエントロピーは全体のスピンエントロピーに比べて小さいと考えられます. これは,長距離磁気秩序の発達が異方的相互作用を持つFe(II)サイトのスピンではなく,等方的な相互作用を持つlow-spin Fe(III)によって引き起こされるため,Fe(II)のスピンが十分な短距離秩序を示す1.18 K以下でしか長距離秩序を発達させることが出来ないためであると考えられます. これらの結果は,長距離磁気秩序を持たない状態で大きな有効スピンモーメントを持つスピンクラスターが出来たことを示唆しており,この物質がSCMとして振る舞っていることが熱力学的にも確認できました. 今後は,様々なSCMの物性を探求し,それぞれの特徴や共通点を明らかにすることによって巨大スピン系の物性の統一的な理解を得ることを目指しています.

(山下智史,中澤康浩)

 

発 表

山下智史,金子行宏,梶原孝志,中澤康浩,山下正廣,小國正晴,第42回熱測定討論会(京都),1A0950 (2006)

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