分子を物理吸着させる基板として,酸化マグネシウム(MgO)の(100)結晶面は,これまで広く研究に用いられてきたグラファイトの(0001)面とは様々な点で異なっています. 岩塩型のイオン結晶であるMgOの(100)面は,正方対称のポテンシャル場を提供します. また,いくつかの研究から,分子の表面への吸着熱はMgOの方が小さい一方で,表面の凹凸(コリュゲーション)はMgOの方が大きいことが知られています. この2つの基板での吸着膜の挙動を比較することで,吸着膜や界面についての何らかの新しい知見が得られるのではないか,そのような観点から,テトラメチルシランを吸着質に用いて研究を行い,基板による違いが単分子膜のダイナミクスなどに見いだされたことは,本レポートNo. 24 研究紹介16でご紹介しました.
2つの基板での違いを詳しく調べていくには,系統的に調べることのできる物質を用いたいところです. そこで,分子の長さと対称性を系統的に変えることのできる直鎖アルカンを取り上げることにし,まず手始めとしてn-ヘプタンについて調べてみました. グラファイト表面でのアルカン吸着膜の振る舞いについては,本レポートNo. 23 研究紹介17でご紹介しました. 代表的な特徴としては,比較的短いアルカンでは単分子膜固体の構造に顕著な偶奇効果を示すこと,ヘキサンより長い分子ではいずれも固液界面に単分子膜固体を形成すること,その融解エントロピーはバルクと比べてかなり小さい一方で,融点はバルクの融点の絶対温度で約10%ほど高いことなどが挙げられます.
Fig. 1. Neutron diffraction pattern obtained at 17 K from 0.8 monolayers of deuterated n-heptane adsorbed on the (100) surface of MgO (bottom). The contribution from
the MgO substrate has already been subtracted. X-ray diffraction pattern obtained at 10 K from 0.8
monolayers of n-heptane adsorbed on graphite (top) is also plotted for
comparison.
Fig. 2. Incoherent elastic neutron scattering intensity as a function of temperature for 7
monolayers of n-heptane adsorbed on MgO (100). The data are normalized to
unity at 17 K. The horizontal dotted line indicates the background level. The solid and dashed
arrows indicate the melting point of bulk n-heptane and that of the solid
monolayer formed at the liquid-graphite interface, respectively.
まず熱容量測定で相挙動を調べるところから始めたいところなのですが,上述のテトラメチルシランの研究紹介でも述べたとおり,MgOを用いた吸着膜の熱容量測定では,熱量計セル内の熱伝達の問題で,熱平衡への到達が高温域ほど遅くなり,35 K以上では満足行く測定値を得ることができません. そこでまず,中性子散乱によって調べることにしました. Fig. 1はMgOに重水素化ヘプタンを0.8層相当吸着させた試料について,17 Kで中性子回折実験を行った結果です. Q = 12 ∼ 20 nm–1付近に観測されたピークは,いずれも高角側に裾を引いた形をしています. これは,ランダムに配向した2次元固体からの回折に特徴的な形状で,すなわち,ヘプタンが気固界面で単分子膜固体を形成していることが分かります. グラファイト表面に吸着したヘプタン単分子膜固体のX線回折パターンと比較して,ピークがより鈍って見えるのは,実験に用いたグラファイトが優先配向を有しているのに対し,MgOにはそれがないためです. この単分子膜固体の構造ですが,今のところ分かっていません. 実験データの問題で(統計が極めて悪い),Q < 6 nm–1の領域についての知見は得られていないのですが,もしQ = 12 nm–1のピークを(20)あるいは(40)反射によるものと考えれば,ヘプタン分子は表面に対して垂直に立った状態ではなく,寝た状態で吸着しているということができそうです.
次に固液界面で単分子膜固体が形成されるかどうかについて調べてみました. 用いた手法は非干渉性の中性子散乱で,この実験では試料には通常の水素体を用いました. その原理は,以前の本レポートでも簡単に触れられていますが(本レポートNo. 19 研究紹介12),ごく簡単に言ってしまえば,弾性散乱強度が試料中の固体成分の量を反映しているので,これを利用して固体成分を定量し,融解を検出するというものです. Fig. 2に得られた結果を示します.強度の温度変化は,バルク融解まではグラファイト表面の場合とほぼ同じです. また,バルク融点以上でも弾性散乱は完全には消失していないことから,何らかの固体成分が存在していることが考えられます. しかしその一方で,グラファイト表面の場合に見られたようなステップ状の強度の減少は現れていません. また,ヘプタンの仕込量(7層相当)から考えると,バルク融解後に1層の固体成分が存在しているとするには強度が小さすぎます. すなわちここで得られた結果は,固液界面での単分子膜固体の形成について,明確な結論を与えてくれないというわけです.
中性子散乱によって,MgOに吸着したヘプタンについていくつかの知見が得られました. しかし,相転移の有無や融解挙動などを調べるのは,相の変化を熱異常で検出できる熱容量測定の独擅場です. また,固液界面に単分子膜固体が形成されるかどうかにつていも,熱容量測定を行えば明確な結論が得られるかもしれません. やはり,何らかの工夫をして熱容量測定を行う必要がありそうです.
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