研究紹介 3

有機−無機複合磁性体
(AMe)3TOT• +· FeIII Br4 (A = S, Se) の
熱容量と磁気相転移

無機物質ではなく,有機物質が主役を担う「分子磁性体」は,基礎·応用の両面において盛んに研究されている分野です.その中で,優れた分子設計性のある有機物質と元素の多様性のある無機物質の両方に磁性をもたせ,組み合わせることによって作られる,いわゆる「有機−無機複合(コンポジット)磁性体」は,従来の分子磁性体では見られないような特異な空間・磁気・電子構造を生み出す可能性が期待されるため,最近注目されています.

私たちはここ数年大阪市立大学の岡田惠次教授のグループとの共同研究で,いろいろな有機−無機複合磁性体の興味深い磁気的性質について調べています(本レポート No. 28 研究紹介記事7,No. 29 研究紹介記事5–8).今回,有機−無機複合磁性体 TOT·+·FeIIIBr4- において見られた TOT·+ ラジカル陽イオンの反強磁性的な二量化の形成(本レポート No. 29研究紹介記事6)を阻止し,対陰イオン FeIIIBr4- との磁気相互作用の増大を狙って,TOT·+ にカルコゲン原子を導入した有機−無機複合磁性体(AMe)3TOT·+·FeIIIBr4-(A = S, Se)が合成されました(Fig. 1).磁化率測定から,S 化合物では 4.5 K 付近,Se 化合物では 7 K 付近に弱強磁性的な磁気秩序による磁気異常が観測されています.私たちは両磁性体の磁気的性質を調べるために熱容量測定を行いました.

熱容量測定は Quantum Design 社製の緩和型熱量計 PPMS 6000 を用いて行いました.測定温度範囲は 0.35 〜 20 K です.また,9 T までの磁場中での測定も行いました.

Fig. 2 に磁場中での磁気熱容量を示します.S 化合物では 4.93 K に,Se 化合物では 6.51 K に磁気相転移による熱容量ピークが観測されました.両磁性体とも磁気相転移温度が磁場の増加と共に僅かに低下しているので,何れも反強磁性相転移であることがわかります.

Fig. 1 Fig. 1. Molecular structure of (AMe)3TOT·+ (A = S, Se).

Fig. 2 Fig. 2. Heat capacities of (AMe)3TOT·+·FeIIIBr4-(A = S, Se) under magnetic fields. Solid curves indicate the lattice heat capacities. For the sake of clarity, the heat capacities except for the zero-field heat capacities are shifted upwards.

磁気相転移温度より高温側に低次元磁性体特有の熱容量の裾が見られます.零磁場での磁気熱容量から磁気エントロピーを求めたところ,S 化合物では 19.6 J K-1 mol-1,Se 化合物では 19.0 J K-1 mol-1となり,何れも (AMe)3TOT·+ のスピン(S = 1/2)と FeIIIBr4- のスピン(S = 5/2)の秩序化による磁気エントロピーの期待値 Rln(2×6)(= 20.7 J K-1mol-1)と良い一致を示しています.

磁気相転移温度より高温の零磁場での両磁性体の磁気熱容量を S = 1/2 と S = 5/2 の相乗平均である S = 1 のハイゼンベルグスピン系の高温展開式を用いて解析したところ,S 化合物では J/kB = -3.4 K の,Se 化合物ではJ/kB = -3.0 K の鎖内磁気相互作用をもつ一次元反強磁性ハイゼンベルグスピンモデルで最もうまく再現できました(Fig. 3 中の実線).これらの鎖内磁気相互作用の値と磁気相転移温度から,分子場近似を用いて鎖間磁気相互作用を見積もったところ,S 化合物では |zJ′/kB| &asymp 1.8 K,Se 化合物では |zJ′/kB| &asymp 3.5 K という値が得られました.

このように TOT·+ にカルコゲン原子を導入することにより,目論見通りにラジカル陽イオンの反強磁性二量体の形成を阻止して FeIIIBr4-との磁気相互作用を強めることができました.今後,他の置換基の導入や対陰イオンを FeIIIBr4- にしたときの磁性変化について調べていければと思っています.

(藍 孝征,宮崎裕司)

発 表

江崎俊朗,倉津将人,鈴木修一,小嵜正敏,塩見大輔,佐藤和信,工位武治,宮崎裕司,稲葉 章,岡田惠次,日本化学会第89春季年会(船橋),4E1-34(2009)
宮崎裕司,藍 孝征,江崎俊朗,倉津将人,鈴木修一,小嵜正敏,塩見大輔,佐藤和信,工位武治,岡田惠次,稲葉 章,第45回熱測定討論会
(八王子),2B1000(2009).

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