当高分子科学専攻は、昭和34年大阪大学理学部に我が国で初めて設立された高分子学科を母体とする。以来、高分子を一貫して基礎科学として捉え、我が国における高分子科学の教育・研究に中心的役割を果たし、その発展に貢献してきた。
高分子学科誕生には、個人と財界からの寄付によって昭和10年理学部内(中之島旧理学部)に設立された財団法人繊維科学研究所(現財団法人高分子研究所)の存在が大きな役割を演じた。奇しくも、昭和10年は英国ケンブリッジで開催された国際会議においてStaudingerの高分子説が世界の学者に認知された年、すなわち世に言われる高分子論争が終焉した年であった。発足当時の同研究所には、後に高分子科学の指導者となる多くの研究者が集まり、高分子化合物の合成や構造に関する活発な研究を行った。昭和15年には、理学部化学科に高分子化学講座が第6講座として新設され、繊維科学研究所長呉祐吉が新設講座を担当した。講座設置に際しては、同研究所が使用された。以後、この講座は赤堀四郎(当時理学部)、村橋俊介と受け継がれ、高分子工業の目覚ましい発展に伴う社会的要請と相まって,昭和34年の高分子学科設立となった。新設高分子学科の建物の大部分は繊維科学研究所の転用であった。また、同研究所と大阪大学産業研究所に優秀な人材が揃っていたことも学科創設実現の大きな原動力となった。大学院に高分子学専攻が設置されたのは昭和38年である。
学科創設当初は上記第6講座から振替の高分子合成化学講座(村橋俊介担当)のみであったが、 昭和37年までに5講座すべてが揃った。この5講座組織(小講座制)は、平成8年の大学院重点化によって現在の大講座制(3大講座で計7研究室)となるまで続いた。また、重点化の際、高分子学科は化学科と併合した。重点化前における高分子学科の構成を表1.1に示す。