物質の熱力学的性質を研究する上で,熱容量測定は非常に有効な手段です. その中でも,断熱法による熱容量測定は,最も高精確度な測定を行うことができるということで,これまでに様々な種類の断熱型熱量計が開発されてきました. このような断熱型熱量計の利点として,精確度の高い測定ができること,密閉セルを用いれば試料の形態を問わないことなどが挙げられます. しかしその一方で,高精確度測定には 1 g 以上の試料量が必要であるという欠点がありました. 我々はこの問題を解決するため,数百 mg 程度の試料量でも従来並みの測定が可能な断熱型ミクロカロリメータを開発し,様々な研究に活用してきました. この装置では温度測定に温度移送法を採用することで,試料セルの小型化,ゆえに測定試料量の微少化を実現しています(本レポート 1984年 (No. 1), 1989年 (No. 10), 1990年 (No. 11) 参照).
近年,分子磁性体や有機電荷移動錯体などで非常に興味深い物質が続々と合成されています. これらの物質の中には,ごく少量の試料(数十 mg 程度)しか得られないものも多く,そのような場合には最近では市販の緩和型熱量計(カンタム・デザイン社製 PPMS)を用いることも少なくありません. この装置の最大の利点として,試料量が 数 mg 程度と非常に少量ですむことが挙げられるからです. しかし一方では,固体試料を前提に設計されている,一次相転移の検出に不向き,高温で正確な熱容量値を得にくいなどの欠点も抱えています. そこで我々は,この緩和法における欠点を克服するため,既設の断熱型ミクロカロリメータのさらなるミクロ化を目指しました. 従来の測定温度範囲(10 – 380 K)で,試料形態によらず,ごく少量の試料量(数十 mg 程度)で測定可能な新たな超微少試料用セルを試作しました.
Photo 1. An ultramicro cell for an adiabatic microcalorimeter.
Fig. 1. (Click to enlarge.) Heat capacity of benzoic acid by the ultramicro cell and comparison with literature values.
Fig. 2. (Click to enlarge.) Heat capacity of synthetic sapphire by the ultramicro cell and comparison with literature values.
Photo 1 に今回試作した超微少試料用セルを示します. 大きさ 8 × 6 × 0.2 mm3 の金メッキした銅板の片面中央に精密チップ抵抗器(10 kΩ)を貼り付けてセルヒーターとし,熱漏れを小さくするために導線にはコンスタンタンを用いました. また,同じ面に温度移送と断熱制御用の熱電対のためのチューブも配置しました(このパーツをホルダーと呼ぶことにします). このホルダーのもう片面に熱接触を良くするための少量のアピエゾン H グリースを塗り,試料を封入した DSC パン(ブルカー・エイエックスエス社製)をのせ,全体を銅線で固定することでセルとします. セル全体の質量は 200 mg 程度,試料量は 数〜数十 mg です. ホルダー以外のパーツは測定毎に一度きりの使用となりますが,グリース,銅線はサンプリング時にその都度質量を合わせます. DSC パンについては,製品毎の質量差はその材質の熱容量を用いて補正します.
以下に,DSC パンに 32 μL アルミパンを用いたときの測定例を示します. Fig. 1 は標準物質である安息香酸(NIST, SRM 39i)の測定結果です. 試料量は 15.4864 mg,温度範囲は 8 – 300 K,セル全体の比熱容量に占める試料の比熱容量の割合は 約10% でした. 文献値と比較すると,最大 約4% の差が生じました. この原因については,セルの比熱容量が非常に小さいために,熱電対線やヒーター導線を通しての熱漏れや,輻射による熱漏れの影響が相対的に大きくなること,また制御条件もよりシビアになるために断熱制御が大変困難となる点などが考えられます. また,断熱制御条件の改良を重ね,測定を繰り返すうちに,セルを熱量計へセットしたときの配置の差も測定結果に大きな影響を与えることが分かってきました.
このように測定条件を模索する中で得られた標準物質である合成サファイア(NIST, SRM 720)の測定結果を Fig. 2 に示します. 試料量は 46.6926 mg,温度範囲は 85 – 380 K,セルに占める試料の比熱容量の割合は 約10 – 20% でした. 高温域で 約2% の差となっているものの,大部分の温度領域で 約0.2% の範囲内で文献値と一致した熱容量値が得られました. 試料量を考えればこの結果は満足のいくものと言えるでしょう. 現在,広範な試料について,再現性の良い測定結果が得られるよう,より良い測定条件を模索・検討しています.
荒井 眞一郎,宮崎 裕司,稲葉 章,第44回熱測定討論会(つくば),P12 (2008).
Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.