分子性ダイマー Mott 三角格子系とスピン液体

BEDT-TTF 塩などに代表される有機伝導体は,10 K という有機物質としては高い超伝導転移を示すことで注目されていますが,その一方で,比較的シンプルな低次元構造の格子に1/2や1/4の充填度で電子やホールが入ったモデル電子系として基礎科学的に非常に興味がもたれています. 有機ドナーやアクセプター分子が二量化し,強いオンサイトクーロン反発をもつ系では Mott 絶縁体状態になります. 特に,ダイマー性が強く,理想的な1/2充填系としてダイマーに1個の電子やホールが局在したものはダイマー Mott 系と呼ばれ,電子相関に関する幅広い研究のモデルになってきました. 最近ではダイマー Mott 系で理想的な二次元三角格子構造をもつ塩が見出され,昨年の本レポート(2007年 (No. 28) )では,その熱的な性質が,三角格子のスピン液体モデルとよく合うことを報告しました. 理想的な三角格子系において実現するスピン液体状態は,超伝導状態と強い関連をもつ可能性も指摘されており,その理解は興味深いところです. 無機化合物でも三角格子物質はいくつか知られていますが,こうした化合物では,わずかな摂動で秩序化やスピングラス化が生じるため,基底状態についての議論があまり進んでいませんでした. ダイマー Mott 三角格子系 κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 にはこうした問題はなく,基底状態についての議論が可能です. 以前に報告した κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 の熱容量の特徴的な振る舞いを Fig. 1 に示します. κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 の低温熱容量では,同時にプロットした他の典型的な Mott 絶縁体にはない温度の1乗に比例する項(T-linear 項)が観測されています. この傾向は,希釈冷凍機温度まで含めた熱容量でも確認されていることから,この物質には,連続的なエネルギー励起が存在することになります. これが,スピン液体状態が実現していることを強く示唆する根拠となります. また,これより高い温度領域では高温の常磁性状態から低温のスピン液体状態へのクロスオーバー現象に対応するとみられる 5.7 K をピークトップとしたブロードな熱異常が観測されました.

Fig. 1 Fig. 1. (Click to enlarge.) Low temperature heat capacities of κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 and typical Mott insulator based on BEDT-TTF dimers. A distinct T-linear contribution with the coefficient γ = 12.9 mJ K−2 mol−1 even in the insulating state is observed. The heat capacities of κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 show no magnetic field dependence.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Low temperature heat capacities of EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 under different magnetic fields. A distinct T-linear contribution with the coefficient γ = 20 – 30 mJ K−2 mol−1 in the insulating state is observed. The heat capacities EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 show weak magnetic field dependence.

今回我々は, κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 と同じく理想的な三角格子系を形成することが報告された EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 に注目しました. EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 では,各ダイマーにおける重なり積分の値が全て異なり ( tB : ts : tr = 28.3 : 27.7 : 25.8 (meV) ) ,二等辺三角型の三角格子 ( t' : t : t = 115 : 109 : 109 (meV) ) を形成する κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 とは構造がやや異なります. また,各ダイマー間のトランスファー積分の絶対値も2つの物質では異なります. このような違いが物性にどのように影響するかを調べることは,スピン液体の本質に迫るためには必要不可欠である興味深い実験になります.

Fig. 2 に EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 の熱容量を Cp T−1 vs T2 プロットを用いて示します. デバイの T3 則を使って,熱容量の低温への外挿を行ったところ 約20〜30 mJ K−2 mol−1T-linear 項が見られました. この結果は κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 と同様であり,スピン液体の実現を強く示唆します. 一方で,8 T の磁場を印加したところ,熱容量および T-linear 項の係数は,わずかな磁場依存性を示しました. 2つの物質でみられた磁場依存性の違いは,重なり積分の絶対値の違いを反映したものと考えられ,スピン液体の性質に各ダイマー間の相互作用の強さが密接に関係している可能性を示しています. また,図示はしていませんが, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 でも 3.2 K をピークトップとするブロードな熱異常が見られました. これより, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 でも高温の常磁性状態から低温のスピン液体状態へのクロスオーバー現象が起こっているものと考えられますが, κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 におけるピークトップ温度 5.7 K と比べると温度が半分程度であり,ピークでのエントロピーも小さいものでした. これは,それぞれの物質の正三角格子からのズレ方によって少し相違が出てきているものと思われます.

温度に比例する項とブロードなクロスオーバーは, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 の両者で見出されたことから,これらは有機系三角格子での共通性のある振る舞いと理解されます. その一方で, tJ の相違によるエネルギースケールの違いも現れてきました. 今後は, EtMe3Sb [Pd(dmit)2]2 に対する希釈冷凍機温度での熱容量測定や重水素置換した κ-(BEDT-TTF)2 Cu2(CN)3 の熱容量を測定し,比較することによってスピン液体状態の形成要因について理解していきたいと思います.

(山下 智史,中澤 康浩)

発 表

山下 智史,山本 貴,中澤 康浩,鹿野田 一司,田村 雅史,加藤 礼三,第2回分子科学討論会(福岡),4P004 (2008).
山下 智史,山本 貴,中澤 康浩,田村 雅史,加藤 礼三,第44回熱測定討論会(つくば),1C1000 (2008).

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