単分子磁石連結系のグラス状態での
交流熱容量測定

複数の磁性イオンを含む多核金属錯体クラスターには,クラスター内部の強い磁気相互作用によってクラスター全体として大きな量子数の高スピン状態をつくるものがあります. このような物質で,クラスター内のスピンの異方性が高くなると,低温で,ナノメートルサイズの磁石のように振る舞うことになり,これは単分子磁石と呼ばれています. 大きなスピン量子数と軸異方性をもつスピン種が奇妙な磁気特性を発現するところに興味がもたれており,その物性は,磁化,比熱等の熱力学量の不連続性なステップ,スピン反転の長い緩和時間によって特徴づけられます. 現在,このような単分子磁石は,広く研究がなされていますが,このナノ磁石を1つの磁気構造ユニットと考え,それを人工的に連結することによって作ったナノ磁石ネットワーク型化合物は,さらに新しいタイプの磁性体として興味がもたれます. こうした物質では,分子個々がもつナノ磁石としての特有の内部自由度が存在する反面,それぞれのユニットが互いに相関をもちネットワークとしての集団効果も示し,両方の側面が同じエネルギースケール,時間スケールで現れてくるため,二面性をうまく制御することにより新しい性質を引き出せることが期待されています.

熱的な測定は,温度変化とともに分子がもつ様々な自由度の秩序化過程を選択則なく定量的に捉えることができる実験手法です. 特に,低エネルギー領域において精度が高く,低温での相転移,励起構造の探求に力を発揮します. このようなネットワーク系での集団効果を調べるためにはどうしてもエントロピーを直接評価できる熱的な手法が必要になってきます. 2006年の本レポートで,我々は,ネットワーク型化合物のうち, [Mn4(hmp)4(pdm)2{N(CN)2}2] (ClO4)2· 1.75H2O · 2Me(CN) という物質で,低温,弱磁場下で生じる非平衡状態について報告しました(本レポート 2006 (No. 27) 研究紹介4). この物質は,Mn4 の単分子磁石が基本クラスターになっていますが,クラスタースピン間の相互作用 J/kB は相転移を起こすような物質と比べて一桁近く小さくなっています. そのため,極低温を調べると,弱い磁場でも集団効果に大きな影響が現れ,熱的な性質が劇的な変化を受けることになります. 本研究では,この物質に対して,極低温領域での熱容量を緩和法によってより詳細に測定し,また磁場誘起のグラス化現象について周波数に依存した特性を調べてみました.

Fig. 1 Fig. 1. (Click to enlarge.) Low-temperature heat capacity of [Mn4(hmp)4(pdm)2{N(CN)2}2] (ClO4)2· 1.75H2O · 2Me(CN) obtained by a dilution refrigerator. A thermal anomaly which is associated with formation of an antiferromagnetic ordering was observed at 380 mK.

この物質に対して,希釈冷凍機温度での測定結果を示したのが Fig. 1 です. 東北大金属材料研究所にある大型希釈冷凍装置に取り付けた緩和型セルを使って 90 mK までの低温で測定を行ったところ,380 mK 付近に大きなピークが現れました. ピークは非常にブロードですが,バックグランドに Mn 原子核による核ショットキー熱容量があるとして Cp = AT−2 の温度依存性の項を差し引くと,ほぼ Rln2 に近いエントロピーがあることがわかります. 以前に報告した [Mn4(hmp)4Br2(OMe)2{N(CN)2}2] 2THF · 0.5H2O の 2 K の相転移と同様に,基底状態の Sz = +9, −9 の縮退が,この低温の磁気的振る舞いと関係していることがわかります. 面白いことにスピン系の緩和時間がフォノン系と比較して非常に長くなっており,緩和法のような試料温度の変化の過程を解析する手法では,十分に長い時定数をとらないとスピン系の熱容量を正確に測れないことがわかりました. 図のデータは,406 μg の比較的大きな結晶を用いて,数分の緩和時間をとっていますが,少量の試料での測定ではピークが小さくなってきます. 核スピン系では 50 mK 以下くらいの超低温領域になるとたびたび起こる現象ですが,このような金属錯体のスピン系で高い温度で現れているのは,ネットワークを構成する単分子磁石ユニットのもつ大きなスピンと強い磁気異方性が,この物質系に磁気フラストレーション効果を与え,応答の遅さを引き起こしているように思われます. この物質に磁場を印加していくと,0.05 T 以下の磁場でもピークは次第に小さくなっていき,0.1 T 以上になると熱容量が急激に低下するグラス化現象が起こります. スピンのグラス化という現象は,基本的に複数の相互作用が競合する系やアモルファスのような不均一な系で,スピン配置が磁気相互作用の競合によって生じるフラストレーションによって安定な秩序構造が決まらず凍結してしまうという現象ですが,それが弱い磁場をかけると,急激に現れるところが面白いところです.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Frequency dependence of the ac heat capacity obtained under external field of 0.2 T. A systematic increase of the freezing temperature with the increase of the ac frequency is observable from the figure.

このようなスピンの非平衡な凍結現象のダイナミックな側面を知ることは分子性ガラスなどとの対比という意味でも興味がもたれます. 我々は,その性質を調べるため周波数を変化させた交流熱容量測定をしてみました. Fig.2 に示したのは 0.2 T の磁場下で得られた交流熱容量のデータです. 0.9 K 程度にあった凍結温度が 12.5 Hz では 1.3 K くらいに上昇しており,さらに周波数の上昇とともに系統的に上がっているように見えます. 熱容量の変化そのものもブロードになっているように思われ,スピン系の非平衡現象であることがここからも示唆されます. さらにこの物質に一定の周波数で圧力をかけていくと,スピン間の相関が強くなり,わずかな圧力でフラストレーションが抑制され非平衡凍結現象も無くなることが分かりました. 圧力下の実験はまだまだ定性的な段階ですが,このようなスピン系の非平衡現象は他にあまり例がなく単分子磁石系の特徴であると考えています.

(窪田 統,中澤 康浩)

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