分子磁性体 TOT• +· FeIII Br4
熱容量と磁気相転移

Fig. 1 Fig. 1. Molecular structures of DOT• + (left) and TOT• + (right).

従来の磁性体とは異なる,有機物質が主役を担う「分子磁性体」の中で,共に磁性を担う有機物質と無機物質とが組み合わさってできた,いわゆる「有機−無機コンポジット分子磁性体」が近年盛んに合成・研究されています. 大阪市立大学の岡田惠次教授のグループは,有機ラジカル陽イオン DOT• + および TOT• + (DOT = 2,2′:6′,2″-dioxytriphenylamine, TOT = 2,2′:6′,2″:6″,6-trioxytriphenylamine, Fig. 1) と無機陰イオン MIII Cl4 (M = Fe, Ga) とを組み合わせた新しい有機−無機コンポジット分子磁性体を合成しました(M. Kuratsu et al., Inorg. Chem. 46, 10153 (2007)). 私たちは共同研究として,これらの磁性体について熱容量測定を行い,それらの磁性について詳細に調べました(昨年の本レポート(2007年 (No. 28))の研究紹介7,本レポートの研究紹介5参照).

今回,岡田先生のグループは無機陰イオン MIII Br4 (M = Fe, Ga) を用いて,新たにいくつかの有機−無機コンポジット分子磁性体を合成しました. 私たちは,引き続き共同研究として,その中の TOT• +· FeIII Br4 の熱容量測定を行いましたので,その結果について紹介します. 磁化率測定がすでに行われており,7 K 付近に磁気相転移によると思われる磁化率の折れ曲がりが見られます. また,2 K での磁化測定では,磁気ヒステリシスは観測されていません.

熱容量測定は Quantum Design 社製の緩和型熱量計 PPMS 6000 を用いて,0.35 〜 20 K の温度範囲で行いました. また,9 T までの磁場中での熱容量測定も行いました.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Heat capacities of TOT• +· FeBr4 under magnetic fields. Solid curve indicates the lattice heat capacity. For the sake of clarity, the heat capacities except for the zero-field heat capacity are shifted upwards.

Fig. 3 Fig. 3. (Click to enlarge.) Magnetic heat capacities of TOT• +· FeBr4 under magnetic fields. For the sake of clarity, the magnetic heat capacities except for the zero-field magnetic heat capacity are shifted upwards.

Fig. 2 に磁場中での熱容量の測定結果を示します. 磁気測定とほぼ同じ 7.30 K に磁気相転移による熱容量ピークが観測されました. 磁場が増加するにつれて磁気相転移温度がわずかに低温側へシフトすることから,この磁気相転移が反強磁性相転移であることがわかります.

磁気相転移の影響のないと思われる 10 〜 20 K の零磁場での熱容量データから格子熱容量を決め(Fig. 2 中の実線),全体の熱容量から差し引くことにより,磁気熱容量を計算しました(Fig. 3). 零磁場での磁気熱容量から磁気エントロピーを求めたところ,14.4 J K−1 mol−1 となりました. これは FeBr4 イオンのもつ S = 5/2 のスピンの秩序化による磁気エントロピーの期待値 Rln6 (= 14.9 J K−1 mol−1) に近い値です. ほぼ同じ結晶構造をもつ TOT• +· FeIII Cl4 では,隣同士の TOT• + イオン間に非常に強い反強磁性相互作用(Jd/kB ≈ −6.5×102 K)が働いているため,低温では TOT• + イオンのもつ S = 1/2 のスピンはほぼ秩序化しています. 一方,隣同士の FeCl4 イオン間にも弱い反強磁性相互作用(Jd/kB = −0.88 K)が働いているのですが, FeCl4 二量体間の磁気相互作用が非常に弱いため,2 K までは磁気秩序化が起こっていないことがわかっています(M. Kuratsu et al., Inorg. Chem. 46, 10153 (2007)). 今回の TOT• +· FeBr4 も,おそらく TOT• +· FeCl4 と同程度の大きさの二量体間の磁気相互作用をもつものと思われますが, FeBr4 二量体間の磁気相互作用が FeCl4 二量体間のよりも大きいために,7.30 K で反強磁性的に秩序化したと考えられます.

全体の磁気エントロピーに対する磁気相転移温度より高温の磁気エントロピーの比が 34.5% であることから, TOT• +· FeBr4 は三次元体心立方格子(J/kB = −0.39 K)の磁気構造を有することが示唆されます. 磁気相転移温度の値から分子場近似を用いて磁気相互作用を求めると, zJ′/kB = −1.3 K という値が得られました. もし,三次元体心立方格子の磁気構造を有するならば,z = 8 なので,J/kB = −0.16 K となり,上記の高温展開式から求めた値と概ね合っています. さらに,零磁場の磁気熱容量の高温極限の値を用いて FeBr4 二量体間の磁気相互作用を見積もったところ,Jd/kB = −1.1 K という値が得られました. この値は FeCl4 二量体間の磁気相互作用の値に近い値です. したがって,高温では TOT• +· FeCl4 と同様に,TOT• + 二量体間の非常に強い反強磁性相互作用と FeBr4 二量体間の比較的弱い反強磁性相互作用による磁性が支配的になっていると結論されます.

今後,その他の同族磁性体 DOT• +· FeIII Br4, DOT• +· GaIII Br4, TOT• +· FeIII Cl4 について,順次熱容量測定を行っていく予定です.

(藍 孝征,宮崎 裕司)

発 表

藍 孝征,宮崎 裕司,倉津 将人,鈴木 修一,小嵜 正敏,岡田 惠次,稲葉 章,第44回熱測定討論会(つくば),P16 (2008).

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