単一成分分子性導体の電子熱容量係数

分子性伝導体は,一般に電子を放出しやすいドナー分子と電子を受け入れる性質のあるアクセプター分子,もしくはそれぞれのカウンターイオンが分離積層型に配列した物質です. ドナー分子とカウンターアニオンからなる (TMTSF)2X や (BEDT-TTF)2X などの 2:1 塩が広く知られており,強電子相関効果にもとづく超伝導や電荷秩序,スピン秩序など,多様な電子物性が研究されています. 一方,アクセプター分子とカチオンからなる系でも, (DCNQI)2M (M : 一価の金属イオン)などが知られており,擬一次元的な格子の中での電子相関や電子格子相互作用の問題などが広く議論されています. 電荷移動塩では,分子の HOMO もしくは LUMO に酸化,還元によってホールや電子が導入され,それが固体中でバンドを形成することで金属状態が安定化することになります.

今まで知られている分子性伝導体はこのような HOMO もしくは LUMO に部分充填の状態をつくるかたちで設計されていますが,最近,日本大学の小林昭子先生,小林速男先生らによって,HOMO-LUMO のエネルギーギャップが非常に小さい分子の積層によって,それぞれの軌道間に重なりをもたせたかたちでバンドを形成させる分子設計がなされました. バンドの広がりが,この HOMO-LUMO ギャップより大きくなれば,単一種類の分子だけで金属をつくることができるということになります. このような指針でつくられた [M(tmdt)2] (tmdt = trimethylenetetrathiafulvalenedithiolate) (M = Au, Ni) という分子の結晶で,実際に高い伝導が実現されています. Fig. 1 に示したのが,その分子構造であり,中心金属が Ni, Au の場合に室温以下の広い温度範囲にわたり金属的な挙動が報告されています.

Fig. 1 Fig. 1. Molecular structure of [M(tmdt)2], where tmdt is trimethylenetetrathiafulvalenedithiolate.

電気を良く流す分子性の電荷移動塩で金属状態ができていることは,Fermi 面の存在を確認することで分かります. (TMTSF)2X, (BEDT-TTF)2X, BETS2X 系など多くの化合物で極低温のド・ハース振動の詳細な解析を通して,バンド分散と Fermi 面の構造が広く研究されています. また,このような塩では極低温で熱容量を測定することによって温度に比例する熱容量が検出され,その比例係数は電子熱容量係数と呼ばれ Fermi 面における状態密度の大きさを反映したものになります. 実際,我々も何度か分子性導体でこのような電子熱容量係数の存在を確認し電子状態密度の議論を行ってきました. 本物質のように単一分子で金属的性質をもつ物質が本当に Fermi 面をもった金属状態にあるのかを吟味するためにも,熱容量測定は欠かせない手法になります. 本研究では,我々が有機伝導体の単結晶測定に使っている 3He 温度領域で使用可能な緩和型熱容量測定装置を用いて金属伝導を示す [Au(tmdt)2] の熱容量測定を行いました. 測定に用いた試料は微結晶の粉末であり,約1 mg 程度を外径 1.5 mm,厚さ 0.5 mm 程度に成型して測定に用いました.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Temperature dependence of the heat capacity of [Au(tmdt)2] obtained by a compressed pellet sample. The broad hump observed around 4 K is considered as an extra contribution of phonons owing to the the libration of stacked molecules.

Fig. 3 Fig. 3. (Click to enlarge.) Low-temperature heat capacity of [Au(tmdt)2] shown as a Cp T−1 vs T2 plot. The existence of electronic heat capacity coefficient of about 10 mJ K−2 mol−1 is observable.

Fig. 2 に熱容量の温度変化の様子を示します. 図は金属の低温熱容量をみるために Cp T−1 vs T2 のかたちでプロットしています. 一般に,分子性化合物では低エネルギーであっても複雑なフォノン状態密度があり,単純な Debye の T3 則で表すことができる領域は低温(約2 K 以下)に限られています. 約4 K 付近に見られる膨らみは,分子の Libration 振動に起因する低エネルギーのフォノンモードであり,分子がパイ共役面を合わせるように配列する分子性化合物の特徴的な熱容量の振る舞いです. 多くの BEDT-TTF 系の塩や TMTSF 系の塩でも共通に存在します. 電子状態密度の存在を確認するために低温領域を拡大してプロットしたのが Fig. 3 になります. この図の 0 T のデータは,最低温度領域でわずかに Cp T−1 の増大を示し,おそらく微粉末の試料を使っているため 1% 以下のほんのわずかな常磁性不純物が残っているためかと思われます. 実際 3 T 程度の磁場を印加すると,この Cp T−1 の増大は抑制されエントロピーが高温側に動いているように見えます. 8 T の磁場をかけるとさらに低温領域での Cp T−1 が小さくなり,相互作用していない常磁性の不純物の寄与と考えると説明がつきます. 重要なのは,この寄与を無視したとしても Cp T−1 vs T2 のプロットを絶対零度に向けて外挿した値は有意な γ 項を与えるということで,この物質では磁場に影響されない電子熱容量の寄与が確かに存在していることになります. Fig. 3 から評価される γ の値は 約10 mJ K−2 mol−1 程度となり,これはこの物質で観測される磁化率の大きさ 2 emu mol−1 とほぼ対応しており,バンド的になった電子の状態密度が確かに存在しそれが電子熱容量係数を与えているものと思われます. 電荷移動塩の場合と同様に金属的な状態になっていることが熱的な実験からも強く支持されます.

(井上 祐輔,中澤 康浩)

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