準安定なグリセロール水溶液から結晶化した
氷の低温熱容量

ガラス形成しやすいグリセロールと逆に結晶化しやすい水との2成分系では,興味深い相挙動が幾つか見られます(本レポート 2005年 (No. 26), 研究紹介12;2006年 (No. 27), 研究紹介9;2007年 (No. 28), 研究紹介17). まず,比較的濃厚なグリセロール水溶液では,純粋なグリセロールの場合と同様,均一なガラス状態が容易にでき,昇温しても結晶化することはまずありません. 一方,比較的希薄なグリセロール水溶液では,冷却によって “水の一部” がグリセロール水溶液から結晶化して相分離が起こります. このとき,存在する水全部が結晶化しないのは,グリセロール濃厚水溶液がガラス化しやすく結晶化しないことと密接に関係しています. その結果,残されたグリセロール水溶液は “水の凍結によって最大限に濃縮されたグリセロール水溶液,maximally freeze-concentrated solution (MFCS)” となります. この現象にはもちろん速度論が関与していますが,冷却速度を一定に保てば “非平衡相図” を描くことができます(A. Inaba and O. Andersson, Thermochim. Acta 461, 44 (2007)).

Fig. 1 Fig. 1. (Click to enlarge.) Neutron diffraction patterns of ices crystallized from a glycerol 55% (w/w) aqueous (D2O) solution. A two-dimensionally ordered structure of ice forms at 190 K and transforms into hexagonal ice at 220 K.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Heat capacity, plotted as cp T−3 against T, of a sample of glycerol 55% (w/w) after initial vitrification and subsequent annealing at T = 190 K and T = 220 K.

Fig. 3 Fig. 3. (Click to enlarge.) Heat capacities, plotted as cp T−3 against T, of the two-dimensionally ordered structure of ice (2D-Ice), hexagonal ice (Ih) – ours: circles; reference data (Smith et al.): crosses – and cubic ice, as given by Yamamuro et al..

中間的な濃度(55〜60 質量%)ではもっと面白い現象が見られます. すなわち,ふつうの冷却速度(約 −10 K min−1)で簡単にガラスが形成され,これを昇温すればガラス転移を経て 約 190 K でグリセロール水溶液から “水の一部” が結晶化します. しかし,このとき現れる氷は,約 220 K で現れるふつうの六方晶氷(Ih)とは違う特異な構造をもつことがわかっています(Fig. 1, A. Inaba et al., J. Neutron Res. 13, 87 (2005), A. Inaba, Pure Appl. Chem. 78, 1025 (2006)). その構造的な特徴から “二次元的な秩序をもつ氷(2D-Ice)” ということができますし, “三次元的な秩序が一部欠落した氷” ということもできます. 一方で,高圧下で得られる “立方晶氷(Ic)” の構造とも非常によく似ています.

そこで本研究の目的は,断熱型熱量計を用いて 55 質量% グリセロール水溶液から結晶化する2種の氷,つまり六方晶氷と 2D-Ice の極低温での熱容量を測定することによって,両者の違いを求めることです. ただ,系には氷の他に常にグリセロールの MFCS が共存しているので話は単純ではありません. しかしながら,このときに現れる MFCS は同じ濃度の均一ガラスと同じ実体とすることができます. また,結晶化した2種の氷の量は全く同じという仮定をおくこともできます. しかも,MFCS と氷の量は “非平衡相図” の上で “てこの規則” で結ばれています.

Fig. 2 は,55 質量% グリセロール水溶液について得られた低温熱容量をまとめたものです. この温度域に限ったのは,熱容量差がこの温度(あるいはそれ以下)で大きいと予想したからで,より高温では構造の違いは明確であっても熱容量の差として検出しにくいからです. まずガラスの熱容量を測定し,次に 190 K でアニールし(結晶化による大きな発熱を伴う),2D-Ice を得た後ふたたび熱容量測定を行い,最後に 220 K でアニールし,Ih を得た後また熱容量測定を行いました. こうして,結晶化した後の2種の熱容量データから,てこの規則を用いて MFCS の熱容量寄与を差し引けば,それぞれの氷の熱容量が得られるのです. 実際,Fig. 2 ですでに2種の氷の熱容量の違いが反映されています.

一方,実際の MFCS の正確な濃度とその熱容量は,試行錯誤法で求めました. まず MFCS の濃度を仮定し,その実測の熱容量を差し引き “六方晶氷” の熱容量を計算します. その値が文献値(S. J. Smith et al., J. Chem. Thermodyn. 39, 712 (2007))に一致するまで MFCS の濃度と熱容量を正確に合わせ込みました. その結果得られた MFCS のグリセロール濃度は 74.3 質量%でした. そこで,これと同じ熱容量寄与を,190 K でアニールし,2D-Ice が結晶化した試料の全熱容量から差し引くことによって 2D-Ice の熱容量を求めました. その結果を Fig. 3 に示します. T = 6 K から T = 15 K まで 2D-Ice の熱容量は六方晶氷の熱容量よりも平均で 1.3% 大きいことがわかりました.

こうして得られた 2D-Ice の熱容量は,加圧によって得られた立方晶氷(Ic)の熱容量(O. Yamamuro et al., J. Phys. Chem. Solids 48, 935 (1987))とも大きく異なることがわかりました. 中性子回折実験からも,2D-Ice は二次元的な秩序をもつものの,三次元的にはかなり乱れた構造をもつと考えられ,その乱れがこの温度域に余分の熱容量寄与を示していると考えています.

(オスカル・カマチョ,稲葉 章)

発 表

オスカル・カマチョ,稲葉 章,第44回熱測定討論会(つくば),1A1520 (2008).

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