グラファイト表面吸着相における
有機分子脱離過程の直視

有機分子吸着相の脱離機構を明らかにすることは,その相挙動を理解するにあたって極めて重要です. そこで,本研究では,これまで明らかにされなかった固液界面における単分子膜の脱離現象における水素結合の影響について,知見を得ることとしました. われわれは,グラファイト表面に吸着して単分子膜を形成した一連の直鎖分子について,その二次元固体の構造を明らかにしてきました. それはX線構造回折と中性子回折を駆使した結果で,二次元版の結晶構造解析に相当する作業でした. しかし,これら回折法よって得られる構造の情報は,広範な試料表面の平均として得られる逆格子空間の情報であり,微小領域を選択し,局所的な情報を得ることができません. そこで,実空間での局所観察を可能にする走査トンネル顕微鏡法(Scanning Tunneling Microscopy; STM)を用いて,固液界面における直鎖アルコール単分子膜の脱離現象を観察したところ,興味深い知見が得られましたので,報告いたします.

Fig. 1 Fig. 1. Molecular structures of (a) 1-octadecanol and (b) ITCII.

まず,STM の液中観察において,電導性がなくかつ基板に吸着しないフェニルオクタンを溶媒として用いました. これに直鎖アルコール 1-octadecanol (Fig. 1 (a)) とイソインドリンの誘導体 3-imino-4,5,6,7-tetrachloroisoindolin-1-one; ITCII (Fig. 1 (b)) を溶解しました. ITCII 分子を混合したのは,1-octadecanol 分子に比べると分子サイズが小さく,1-octadecanol 分子が脱離した後のグラファイト表面のサイトをほとんど隙間なく埋めていくことで,1-octadecanol 分子の脱離の様子を明確にとらえることができると考えられたからです. また,ITCII 分子は,STM 像において,1-octadecanol 分子よりもはるかに明るいコントラストを与えるため,これらを容易に見分けることができます. 作成した混合溶液を 数 μL とり,グラファイト表面に滴下した後,STM 観察を開始しました.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Successive STM images of 1-octadecanol and ITCII adsorbed on an HOPG surface at liquid/solid interface obtained 14, 15, and 17 min after dropping the mixture solution, respectively. (a) Coexistence of 1-octadecanol (darker contrast) and ITCII (brighter contrast) domains separately. (b) Replacement of 1-octadecanol domains by ITCII molecules from the edges of the domains. (c) Almost complete replacement by ITCII molecules.

Fig. 3 Fig. 3. (Click to enlarge.) (a) High resolution STM image at 1-octadecanol/ITCII interface. (b) The explanation for (a) where bold sticks and circles represent 1-octadecanol and ITCII, respectively. The bold line emphasizes the step-like pattern at the interface. The width of steps indicated by arrows corresponds to the 1-octadecanol dimer length.

1-octadecanol 分子のモル濃度を ITCII 分子のそれの 100倍以上にしたときに得られた STM 像を Fig. 2 に示します. 溶液滴下直後には,1-octadecanol 分子と ITCII 分子が別々にドメインを形成していることが分かります. 時間の経過とともに,1-octadecanol 分子のドメインの縁から優先的に ITCII 分子に入れ替わっていくという現象が観察されました. MM+ 法を用い,1-octadecanol 分子と ITCII 分子のグラファイトシート上における単位面積あたりの吸着安定化エネルギーを見積もったところ,それぞれ 0.052 cal m−2 と 0.14 cal m−2 となり,ITCII の方がより大きな吸着安定化エネルギーを稼ぐという結果が得られました. これらのことから,まず,溶液中に大量に存在する 1-octadecanol が,速度論的に優先して,グラファイト表面にドメインを形成し,次に,1-octadecanol の脱離に伴って,より吸着安定化エネルギーの大きい ITCII が分子膜を形成したと考えられます. つまり,1-octadecanol がグラファイト表面に吸着相を形成する準安定状態から ITCII が吸着相を形成する安定状態への移り変わりととらえることができます. また,Fig. 3 に示すように,1-octadecanol と ITCII のドメイン境界で,ステップ幅が 1-octadecanol の2分子の長さに相当する階段状のパターンが観察されました. これは,1-octadecanol 分子がグラファイト表面から脱離する際,分子の末端で形成している水素結合を保持して,二量体のまま脱離しているという証拠です.

このように,STM を用いて,巨視的な性質の背後にある個々の分子の挙動を直視することで,これまで明らかにされなかった固液界面における単分子膜の脱離現象の詳細な知見を得ることに成功しました.

(高城 大輔)

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