研究紹介 3

高スピンコバルト(U)錯体
[CoII(NO3)2(H2O)n(R1,R2-prpz)](n = 0,1)の
熱容量と相転移

d4 から d7 までの電子配置をもつ遷移金属錯体の中には,温度や圧力などの外的要因によって金属と配位子間の距離が変わり,高スピン状態から低スピン状態へとスピン状態が変化するものがあります.この現象は「スピンクロスオーバー」と呼ばれています.温度誘起スピンクロスオーバーに話を限りますと,スピンクロスオーバーは,広い温度範囲で連続的(ファントホッフ的)に起こるタイプと,相転移によって狭い温度範囲で不連続的に起こるタイプの2種類に大別できます.特に,後者のタイプで相転移が広い温度範囲でヒステリシスを示すものは,分子メモリーや分子スイッチのような新しいデバイスとして利用できる可能性があるため,非常に盛んに研究・開発が行われています.

Fig. 1
Fig. 1. Molecular structure of R1,R2-prpz. R1 = R2 = H: 2,6-bis(pyrazol-1-yl)pyrazine (prpz); R1 = R2 = CH3: 2,6-bis(3,5-dimethlpyrazol-1-yl)pyrazine (3,5dmprpz); R1 = CH3, R2 = H: 2,6-bis(3-methlpyrazol-1-yl)pyrazine (3mprpz).

ところが最近,スピンクロスオーバー現象ではなく,軌道角運動量が凍結せずに残っている遷移金属イオン(たとえば CoII イオンなど)を含む金属錯体で,幅広い温度範囲でヒステリシスを示す構造相転移で配位子場が歪み,その結果軌道角運動量の凍結の度合いが変化することによって磁化(率)の大きさが変化する現象をデバイスに応用する基礎研究が始まっています.標題の高スピンコバルト(U)錯体は,構造相転移によってスピン状態ではなく,軌道角運動量の凍結の度合いが変化して磁化(率)の大きさが変化することがわかっています(G. Juhász et al., J. Am. Chem. Soc. 131, 4560 (2009)).今回,有機配位子の置換基 R1,R2 の種類を変えた(Fig. 1)3種類の錯体([CoII(NO3)2(prpz)],[CoII(NO3)2(3,5dmprpz)],[CoII(NO3)2(H2O)(3mprpz)])について熱容量測定を行い,CoII イオンの軌道角運動量の凍結の度合いの変化に関係する構造相転移について詳細に調べました.

Fig. 2
Fig. 2. Heat capacities of (a) [CoII(NO3)2(prpz)], (b) [CoII(NO3)2(3,5dmprpz)], and (c) [CoII(NO3)2(H2O)(3mprpz)].

熱容量測定は研究室既設の微少試料用断熱型熱量計を用いて行いました.各錯体の測定結果を Fig. 2 に示します.最初に,[CoII(NO3)2(prpz)] では 236.5 K に相転移が観測されました(Fig. 2(a)).過冷却現象や潜熱が見られたこと,また,X線結晶構造解析結果も単斜晶系 C2/cZ = 12)から 三斜晶系 P1Z = 2)への構造変化を示していることから,この相転移は一次相転移であることがわかります.転移エンタルピー・エントロピーはそれぞれ 587.6 ± 4.8 J mol−1,2.533 ± 0.020 J K−1 mol−1と求められ,転移エントロピーの値からも変位型相転移であることが示唆されます.

次に,[CoII(NO3)2(3,5dmprpz)] では 65.8 K と 133.8 K に相転移が見出されました(Fig. 2(b)).低温側の相転移では過冷却現象が観測されましたので,一次相転移と言えますが,高温側の相転移では過冷却・潜熱が見られませんでしたので,二次相転移の可能性が高いです.これらのことはX線結晶構造解析結果の三斜晶系P1Z = 8)→ 三斜晶系P1Z = 2)→ 三斜晶系P1Z = 2)の構造変化とも符合します.転移エンタルピー・エントロピーは,低温側の相転移ではそれぞれ 131.4 ± 9.4 J mol−1,2.01 ± 0.14 J K−1 mol−1,高温側の相転移ではそれぞれ 552.8 ± 7.4 J mol−1,4.171 ± 0.058 J K−1 mol−1となり,高温側の相転移の転移エントロピーの値が変位型相転移にしては少し大きめです.

最後に,[CoII(NO3)2(H2O)(3mprpz)] では 113.5 K,157.4 K,165.3 K に相転移が観測されました(Fig. 2(c)).157.4 K と 165.3 K の相転移は接近しているので,大部分が重なって観測されました.これら全ての相転移で過冷却・潜熱が見られたので,何れの相転移も変位型一次相転移です.X線結晶構造解析結果の三斜晶系P1Z = 2)→ 三斜晶系P1Z = 3)→ 三斜晶系P1Z = 2)の構造変化もこのことを示唆しています.転移エンタルピー・エントロピーを求めたところ,113.5 K の相転移ではそれぞれ 249.6 ± 2.3 J mol−1,2.242 ± 0.020 J K−1 mol−1,157.4 K と 165.3 K の相転移では合わせてそれぞれ 893.8 ± 6.6 J mol−1,5.544 ± 0.041 J K−1 mol−1となり,高温側の2つの相転移の転移エントロピーの合計が Rln2(= 5.76 J K−1 mol−1)程度と,一見秩序−無秩序相転移と思われるような値を示しました.

今後は,さらに低温までこれら3つの錯体の熱容量測定を行い,CoII イオンのスピン(おそらく S = 1/2)の磁気秩序に関する知見を得たいと思います.なお,今回の研究は九州大学の佐藤治教授のグループと共同で行われています.

(宮崎裕司)

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