研究紹介 4

秩序−無秩序型相転移における
水素結合ネットワークの役割
[M(NH3)6](BF4)3 および [M(NH3)6](ClO4)3
(M = Cr, Co, Ru)の場合

ある結晶で大きなエントロピー変化を伴う相転移が観測され,転移点以下で結晶の対称性が部分群へと低下する特徴が明らかになれば,その転移機構は秩序−無秩序型と推測されます.実際に結晶構造を詳しく調べて,構成するイオンや分子の配向に秩序−無秩序の状況変化が観測された場合など,これで一件落着と思ってしまいます.ただ,転移エントロピーの実測値が予想値とずいぶん違う場合があります.このとき,熱容量のベースラインの引き方が問題になります.しかし,いろいろ検討してみても,そんなテクニカルな問題では済まされず,それでいて,低温での無秩序さの凍結など非平衡状態が関与するという実験的な証拠が全く見当たらない場合があります.つまり,系は低温で完全に秩序化している場合です.このとき,結晶では何が起こっているのでしょうか.われわれが採用している断熱型熱量計は,実験的にここまで詰めるのが得意な装置と言えます.

ここで取り上げるのは,標題の一連の錯体結晶です(本レポートNo. 31研究紹介6およびNo. 32研究紹介1参照).熱的挙動のみならず結晶構造やダイナミクスについても,その結果の一部をすでに論文として発表しています(N. Górska, et al., RSC Advances 2(10), 4283-4291 (2012);D. Dołęga, et al., J. Solid State Chem. 197, 429-439 (2013);N. Górska, et al., J. Coord. Chem. (2013) 印刷中).

Fig. 1
Fig. 1. Heat capacity of [Co(NH3)6](ClO4)3. The transition entropies are indicated.

これらの結晶では,いずれも複数の相転移が観測され,少なくとも最高温相(phase I)とすぐ低温の相(phase II)の構造は全ての結晶について同形であり,どちらの相も立方晶系に属していることが分かりました.その間の相転移は,基本的には四面体型アニオンの配向に関する秩序−無秩序によって説明できることが,単結晶X線回折実験から明らかになりました.代表的な熱容量測定の結果([Co(NH3)6](ClO4)3 の場合)をFig. 1に示します.ここで,アニオンの配向が互いに独立で完全に無秩序な状況と,完全に秩序配向した場合で予想される転移エントロピーは 3R ln 2 = 17.3 J K−1 mol−1ですから,実測値はずいぶん小さいことが分かります.

Fig. 2
Fig. 2. An evaluation of the energy required to reorient an ordered ClO4 anion in the crystal lattice of phase II in [Co(NH3)6](ClO4)3.

そこで,II→I 転移の低温側で観測された熱容量の裾に注目しました(Fig. 1 参照).これに対して,融解直下で観測される格子欠陥生成による熱容量の裾の解析を適用しました.この結晶の場合は,phase II の秩序格子にあって,アニオンの配向が乱れるのに要するエネルギーを求めることになります.[Co(NH3)6](ClO4)3 の場合は 40 kJ mol−1 でした(Fig. 2).実際の結晶構造から,アニオンの配向が乱れるには水素結合を5本切る必要があることが分かります.そこで,NH・・・O水素結合1本当たりの切断エネルギーは 8 kJ mol−1 ということになり,これはもっともらしい値です.

Fig. 3
Fig. 3. The entropy change obtained for the series of compounds plotted against the energy required to reorient an ordered anion in the crystal lattice of phase II.

こうして求めた水素結合切断エネルギーに対して,相転移による全エントロピー変化をプロットしたところ(Fig. 3)面白い相間を見いだすことができました.すなわち,いずれの結晶も phase I でアニオンの配向が独立に完全に乱れることはできず,水素結合を介して互いの配向を拘束し合っている様子が分かります.水素結合を介した拘束が厳格な代表例は,氷条件に見ることができます.この結晶では,アニオンが ClO4 の場合は,カチオンの中心金属の種類によってエントロピー値が異なるのに対して,BF4 ではほぼ同じになっています.すなわち,BF4 の配向は phase I でほぼ独立に完全に乱れているのに対して,ClO4 ではかなり抑制されていることが分かり,このことは,NH・・・F水素結合がNH・・・O水素結合より弱いことを示唆しています.これら一連の結晶で形成されている水素結合ネットワークは,その逐次相転移を引き起こすきっかけになっている反面,完全な無秩序化を抑制する働きもしているわけです.

(稲葉 章)

発表

A. Inaba and N. Górska, the 15th International Congress on Thermal Analysis and Calorimetry (ICTAC15) (Higashi-Osaka), IC-GE-OR-2D (2012).

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