研究紹介 9

キラル磁性体の磁気転移の熱的性質

Fig. 1
Fig. 1. Organic chiral ligand pn = 1,2-diaminopropane. Crystallographic chirality is introduced using the chiral ligand.

磁性金属錯体は中心金属や配位子の選択,架橋構造の変化などにより,様々な結晶構造を設計することが出来ます.そのため,多彩な機能性を持たせ,さらにそれらを制御することが可能であり,その磁気的な性質は精力的に研究されています.我々は,これまでに配位子としてキラリティーを持つ有機分子(Fig. 1)を導入することで結晶構造にキラリティーを導入したキラル磁性体[W(CN)8]4[Cu(pn)H2O]4[Cu(pn)]2•2.5H2O(pn = 1,2-diaminopropane)(以下W-Cu complex)に注目して研究を行ってきました.その中で,この物質が磁場印加方向によって特異な磁場依存性を示し,特に結晶のb軸方向に磁場を印加することで,磁場誘起一次転移を示すことを見出しました.この結果については昨年度の熱学レポートにも報告しています(2011年 研究紹介13).この一次転移の起源には,キラルな配位子を有する特異な結晶構造が重要な役割を担っていると考えています.

このW-Cu complexの磁気構造を考えるうえで,W-Cu complexの持つスピン自由度がどのように転移に寄与しているかを検証することは非常に重要になってきます.これまでにW-Cu complexのキラル体(TN 〜 8.3 K),ラセミ体(TN 〜7.2 K)について低温から10 K程度までの測定を行ってきました.その結果,磁気転移の熱異常に寄与している磁気エントロピーはRln2程度であり,WXS = 1/2)とCuIIS = 1/2)によるスピン自由度から予測される全磁気エントロピー(Rln24 + Rln26 = 10Rln2)の10%程度であることが分かっています.このことから,残りの磁気エントロピーは転移温度より高温域に分布していることが予測されます.本研究では磁気エントロピーが温度に対してどのように分布しているかを検証し,スピン自由度と磁気転移,磁場誘起一次転移との関係を検証することを目的として,これまで測定していなかった転移温度より高温域までの熱容量測定を行い,考察を行いました.熱容量測定は,キラル体(R体)試料を数ピース(約0.4 mg)用い,4 K 〜 60 Kの温度範囲で緩和法により行いました.

Fig. 2
Fig. 2. Temperature dependence of heat capacity of R-type W-Cu complex. A sharp anomaly was observed at 8.3 K which is associated with antiferromagnetic phase transition. In higher temperature region, a broad hump structure of which peak top is around 20 K was observed.

Fig. 2に熱容量測定の結果を示します.10 K以下の低温での熱容量の振る舞いは,磁気転移温度も含めて,前回に測定した結果を良く再現しています.黒い実線は高温域の熱容量において格子熱容量の寄与を温度の奇数乗項(Clattice = β1T3 + β2T5 + β3T7 )で,高温での磁気熱容量の寄与をT−2 項で表されるとしてフィッティングすることにより評価した格子熱容量の値です.Fig. 2からわかるように転移温度より高温域に広い温度範囲にわたって磁気熱容量の寄与が存在していることが分かります.得られた熱容量の結果から,今回評価した格子熱容量の値を差し引くことで高温域も含めた磁気熱容量の評価を行いました.今回用いたカロリメトリーセルでは,低温域まで連続して測定を行うことが難しいため,10 K以下の値は前回測定の結果(0.7 K 〜 10 K)を繋げて評価を行っています.得られた結果から,磁気エントロピーを評価したところ,格子熱容量の評価で多少は前後するものの,ほぼ予想される磁気エントロピー(10Rln2 = 57.6 J K−1 mol−1)に一致する結果が得られ,全磁気エントロピーを評価できていることが分かりました.高温域の熱容量に注目すると,10 Kから20 Kの間に頂点を持つブロードなhump構造を持つことが分かりました.本研究の対象物質であるW-Cu complexはWV とCuII がシアノ基によって架橋され,結晶のbc面に二次元的なネットワークを形成した結晶構造であることが,先行研究のX線結晶構造解析によって報告されています.転移の高温側で見られたhump構造は,この二次元平面内でのスピン間相互作用による低次元のゆらぎによるものであると考えられます.一方でこのhump構造は7 T(H⊥bc-plane)の磁場を印加することで,高温域に移動することが確認されました.これは,相互作用が強磁性的であることを示す結果であり,本物質は面内では強磁性的な秩序を形成していることが示唆されます.今回得られた結晶の二次元性を示唆する結果や,磁気エントロピーの分布の磁場変化の検証は,本物質が示す現象を理解するうえで重要な情報です.本物質で見られる磁場誘起一次転移は,磁場によって転移による熱異常が完全に消失する境界で生じることが分かっています.このことは,一次転移を境にして,磁気エントロピーの分布が高温域に変化していることを意味しています.今後は,磁場をb軸方向に印加しての測定を行い,磁気秩序が不安定化され一次転移が生じる過程での高温域も含めた,磁気熱容量,磁気エントロピーの変化を検証し,一次転移の起源,結晶構造との関係について検証していきたいと考えています.

(福岡脩平,中澤康浩)

発表

S. Fukuoka, S. Yamashita, T. Yamamoto, Y. Nakazawa, H. Higashikawa, and K. Inoue, the 15th International Congress on Thermal Analysis and Calorimetry (ICTAC15) (Higashi-Osaka), JO-YG-Or-20F (2012).

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