Fig. 1. Crystal structures of high-temperature (up) and low-temperature (down) phases of [NiII(en)3](ox).
Fig. 2. Heat capacity of [NiII(en)3](ox). Inset shows heat capacity peak due to the phase transition at Ttrs = 269.0 K and supercooled phenomenon of the phase transition.
かつて,ファインマンがナノマシンの可能性について言及して以来,近年のナノテクノロジーの一環として, 分子モーターといったナノアクチュエータの研究·開発が盛んに行われています. 表題のニッケル(II)錯体[NiII(en)3](ox)は, そのようなナノアクチュエータとなり得る候補化合物の一つです.[NiII(en)3](ox)は, 室温で三方晶系(P-31c)の結晶構造をもつ棒状結晶です(Fig. 1 上). 結晶中では,シュウ酸イオンox2-がそのC-C結合軸回りに回転しています. この結晶を冷却しますと,270 K 付近で相転移を起こして単斜晶系(P21/c)の低温相へ変化します(Fig. 1 下). 低温相では,シュウ酸イオンがC-C結合軸に対して90°回転して秩序化することによって,棒状結晶の長さが5%ほど縮みます. 私たちは,この[NiII(en)3](ox)の相転移機構を詳しく調べるために,断熱法による熱容量測定を行いました.
Fig. 2 に熱容量の測定結果を示します.269.0 K に相転移による大きな熱容量ピークが観測されました. この相転移に関して潜熱や過冷却現象が見られたことから,この相転移は一次相転移であることがわかります. このことは,結晶構造解析から得られた相転移による空間群の変化および不連続な体積変化の結果と一致します. この相転移による転移エンタルピー·エントロピーはそれぞれ ΔTtrs = 6.322 ± 0.020 kJ mol-1,ΔStrs = 23.70 ± 0.07 J K-1 mol-1 と求められ, かなり大きなエントロピー変化を伴うことがわかりました. ボルツマンの式 S = RlnW より, エネルギー的に等価な微視的状態数Wは17程度と見積もられました. Fig. 1上の高温相の結晶構造からは,シュウ酸イオンは3方向に無秩序化しているように見えますので,当初は W = 3 と予想されたのですが, 実際にはそれよりもはるかに大きな値となりましたので,大きなエントロピー変化の原因として, 高温相の結晶構造からはあまり分子運動しているようには見えない陽イオン部分[NiII(en)3]2+ が, 実際にはかなり分子運動しており,相転移によってその陽イオン部分も秩序化したとも考えられます.しかし,スピンクロスオーバー錯体などでしばしば見られるように, 相転移による格子振動や分子内振動の変化によっても大きなエントロピー変化を生じることがありますので, 現在,[NiII(en)3](ox)の赤外·ラマン分光測定を行っているところです. また,Fig. 2 からではわかりにくいですが,10 K 以下で熱容量にめくれ上がりが見られます.おそらくニッケル(II)イオンの磁気スピンによるものと思われますので, 極低温領域での熱容量測定も計画しています.今後の展開が楽しみです.なお,今回の研究は九州大学の佐藤治教授のグループと共同で行われています.
Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.