研究紹介 13

強い反強磁性揺らぎとプロトン核スピンの緩和


Fig. 1
Fig.1. Temperature dependence of ac heat capacities of κ-HgCl and κ-HgBr.

Fig. 2
Fig.2. Low temperature heat capacity of κ-HgCl. The blue line is a fitting line of Cp = γTαTlnT+ βT 3+ βT 5 with fitting parameter of γ = 41.9 mJK−2mol−1, α = 34.2 mJK−2mol−1, β = 30.9 mJK−4mol−1, δ = 4.41×10−2 mJK−6mol−1. The dash line is a extrapolation of higher temperature data down to 0 K.

Fig. 3
Fig.3. Magnetic fields dependence of low temperature heat capacity in κ-HgCl. The solid lines show their fitting result by Schottky model.

ドナー分子のBEDT-TTFと対イオンのアニオンXを組み合わせた二次元有機導体(BEDT-TTF)2Xでは, 分子配列の違いやアニオンの違いに応じて, 超伝導, スピン液体, 電荷整列といった多彩な物性を示すことが知られています. BEDT-TTF分子が強くダイマー化したκ, β', λ型の分子配列をもつBEDT-TTF塩では, 実質的に1/2充填バンドを形成し, 強相関金属やモット絶縁体として振る舞うことがあります. κ-(BEDT-TTF)4Hg2.78Cl8 (κ-HgCl) , κ-(BEDT-TTF)4Hg2.89Br8 (κ-HgBr)は, 2価の水銀イオンが一次元鎖を形成したアニオン層と, 二次元のBEDT-TTF層の配列周期が不整合な構造をもつホールドープ型のダイマーモット系です.これらの系では, BEDT-TTF層内の非常に強い反強磁性スピン揺らぎが 電子の有効質量を大きくしており, 電子の状態密度を反映した温度の1乗に比例する電子熱容量係数 の値が一般的な有機導体と比べて2倍程度大きな50 mJK−2mol−1を示すことが報告されています. 我々は低温熱容量の振る舞いの詳細を明らかにするために, κ-HgCl, κ-HgBrについて, 交流法を用いた熱容量測定と緩和法を用いた0 Tから8 Tの外部磁場下での精密熱容量測定を行いました.

Fig.1にκ-HgCl, κ-HgBrの交流法を用いた15 K~200 Kの熱容量測定の結果を示しました. どちらの物質でも,高温から低温にかけて構造転移を示すような熱異常は観測されず, 水銀の1次元鎖による不整合な構造が低温まで保たれていると考えられます. κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]X (X=Br, Cl)で100 K付近で観測されるBEDT-TTF末端エチレン基の回転運動の凍結に関する熱異常も観測されませんでした.

Fig.2にκ-HgClの0 Tにおける低温熱容量のCpT −1 vs T 2プロットを示し ました. 高温の熱容量から直線を外挿した切片で表される γを見積もるとおよそ42 mJK−2mol−1であり, 過去の報告と同程度の大きな値であることがわかりました. 低温の熱容量の振る舞いは, 二次元反強磁性揺らぎによる αTlnT項, 温度の1乗に比例する γT項, 格子の寄与による βT3 + T5項の和で表した青線とよく一致する結果が得られました. 電子熱容量の αT lnT項は他の有機導体では確認されておらず, γ値の増大と強い反強磁性揺らぎには重要な関係があることが示唆されます.

Fig.3にκ-HgCl低温熱容量の磁場依存性を示しました. 0 Tで観測されなかったショットキー型の大きなアップターンが, 外部磁場に対して短調増加する振る舞いが観測されました. 通常, 伝導電子に関する電子熱容量は外部磁場にほとんど反応しないため, αTlnT項とは異なる別の寄与が示唆されます. そこで我々は, 核スピンの超微細構造に基づいたショットキー熱容量の可能性に注目しました. 水銀, 塩素の核スピンによるショットキー熱容量の寄与はアップターンの10%以下であり, 大部分がプロトン核スピンによるショットキー熱容量の寄与であると考えられます. 実際, Fig.3の実線で示したプロトン核スピンを含めたショットキー熱容量と実験結果は, 概ね一致する結果が得られました. またκ-HgBrに ついてもκ-HgClと比較すると顕著ではありませんが, 低温で同様のアップターンが観測されました. 一般的な電荷移動錯体では, プロトン核スピンの緩和時間は102−10−4 sオーダーであり, 熱容量測定のタイムスケール(100−10−1 sオーダー)に比べて非常に長いため, プロトン核スピンによるショットキー熱容量は観測されません. それに対してκ-HgClのプロトン核スピンの緩和時間は10−1−10−0 sオーダーであることがNMR測定で報告されており, 熱容量測定で十分検知可能であると考えられます. κ-HgClに比べて反強磁性スピン揺らぎが弱いκ-HgBrでは, プロトン核スピンの緩和時間がκ-HgClより長く, 部分的なショットキーの熱容量の寄与のみを観測したため, 低温のアップターンは小さくなったと考えられます. このような低温で大きなショットキーの寄与は他のBEDT-TTF塩やその類似体では観測されておらず, ドープ型の有機導体では, 二次元の強い反強磁性スピン揺らぎと核スピンの緩和時間は密接に関係していることが明らかになりました.

(吉元諒, 中澤康浩)

発表

R. Yoshimoto, A. Naito, S. Yamashita, and Y. Nakazawa, Physica B 427, 1-4 (2013).

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