生物熱測定を目的とした熱量計の整備

最近,当研究センターでは生命現象の熱力学研究に着手しています. 従来のいわゆるバイオ関連の熱測定では,圧倒的にたんぱく質や脂質などの材料研究が主流で, 生命現象そのものについての研究は未だごく少数であったと思われます. そこで,私たちは生きた生物を対象にして,生物の生き様の測定法として熱測定を応用し, 熱力学的観点から生命現象の本質にアプローチする試みを始めました.

私たちは生物熱測定を始めるにあたっても,これまでに当研究センターが果たしてきた役割, すなわち信頼性の高い熱測定技術の開発が私たちの主要な任務であると考えています. 私たちは既に複数の生物熱測定装置の開発も始めていますが, 本レポートでは,既設の熱測定装置に改良を加え,生物熱測定に適した安定性を得たので紹介します.

Photo 1 Photo 1. The larvae of the starfish, Asterina pectinifera. The length is ca. 0.3 mm.

Photo 2 Photo 2. A glass ampoule with an aluminum screw cap.

私たちは現在,ヒトデの卵が成熟,受精し, 細胞分裂を繰り返して幼生に至る発生過程の熱出力を追っています(研究紹介11参照,Photo 1). この目的に適した熱量計として, 既設の双子型熱量計,LKB-2277(Thermometric社)通称TAMを利用することにしました. これは,(1)20 °C付近の等温熱測定であること,(2)熱出力が微弱であること, (3)発生が時間から日単位で進行し,1分以下の速い過程は追わなくて良いこと, (4)測定が連続数週間に及ぶことがあり, その間のベースラインが十分に安定であることなどの条件から選択されました. また,信号の増幅器は本体に付属のものを使用せず, 出力をナノボルトメータ(Keithley 2182)で読み取り, パーソナルコンピュータに取り込みました.しかし,実際に測定を始めてみると, 次のような問題点が明らかになりました.

  1. 試料容器として,付属のガラスアンプル(3 mL,2277-303)を利用しましたが, アンプルキャップをクリンプして封じるため,アンプルを再利用できません. ベースラインはアンプル毎に異なるので,結局ベースラインを定められないことになります. また,アンプルキャップはフッ素ゴムでシールされるようになっているので, クリンプする時の圧力でゴムが圧縮されて,発熱します.この発熱が延々と長時間続きます. したがって,付属のアンプルをそのまま利用したのでは, 0.1 μWより測定精度を上げることができません.
  2. 原理的に双子型熱量計は外界の変動に影響されにくいのですが,それでもなお, 左右のアンバランスによって,気象変動の影響を受けます.まず, ベースラインにはっきりと24時間周期の波が現れます.生物は24時間周期の活動をするものもいるので, これを残しておくと大変厄介です.さらに,測定日の晴雨によってベースラインが大きく移動します. これらの変動の主たる原因は湿度の変化によるものと思われます. (このことは,この熱量計を開発したThermometric社も十分認知しており,最近の改良型では, アンプルを熱量計に投入した後に,熱量計内部と外界の空気の流通を, Oリングを使って遮断する構造になっています.)

Fig. 1 Fig. 1. A stable baseline was obtained over several weeks under the steady nitrogen gas flow.

Fig. 2 Fig. 2. Thermal power of the live larvae of Asterina pectinifera under starved condition. A hundred eggs at the 64-128 cell stage were loaded 6 hours after fertilized at the time 0.

私たちは1つ目の試料容器の問題を解決するために,提供されたアンプルキャップを使うのを止め, アルミ合金製のねじ蓋を作り,台座をエポキシ接着剤でガラスアンプルに取り付けました(Photo 2). 蓋とその台座の密着部分には,超高真空用の拡散ポンプ油を塗布して,完全密封することができました. これにより,同じアンプルを何度でも繰り返し使用することができます. また,熱伝導の悪いゴムを取り去ったので,容器は速やかに熱平衡に達します.

次に,湿度の変動の影響をなくすために,熱量計の開口部をプラスチックの容器で被い, 熱量計に毎分70 mL程度の流速で,窒素ボンベから窒素を流し続ける方法をとりました. これにより,気象変動の影響を受けず, 長時間に亘り極めて安定なベースラインを得ることができるようになりました(Fig. 1). ただし,熱量計内部と外界の気体の組成が異なるため,アンプルを出し入れするときには, 外界から熱量計内部に空気が入り込まないように注意が必要です. この種の熱量計に使われているペルチエ素子は大気圧の変動の影響を受けるという報告もありますが, 実際には,この夏2度も台風の直撃を受けたにも関わらず, 見かけベースラインの変動はほとんど検出されませんでした. 実験室の排気口に台風の強風が吹きつけて,実験室の大気圧は秒単位で揺らぎますが, 本熱測定では2分毎の平均を取っているので,この影響は完全に相殺されてしまうからです. Fig. 2に,ヒトデの受精卵100個(直径0.2 mm)をアンプルに封じて,2週間連続測定した結果を示します.

(長野八久)

Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.