大阪大学で過ごした日々

中本忠宏

私が大阪大学分子熱力学研究センターにやって来たのは1999年10月1日のことである.それまでどこに居たかというと,茨城県の東海村に居た.中にはピンとくる方もおいでだろうか.前日の9月30日には東海村で臨界事故が起こっている.3年も住んで居ながらそんな場所があったことを初めて知ったので,現場には行ったこともなかったが,私が住んでいた所からそう遠くはない場所らしい.実際は,事故の日の9月30日には私はすでに大阪に来ており,東海村には居なかった.10月1日から阪大に出てくるためには前日の9月30日には大阪に来ていなければならないと思い,その前日の9月29日夕方には東海村を引き払った.その日はいつも泊めてもらっている東京の知人宅に泊まり,翌早朝の新幹線で大阪へやって来たが,事故発生時刻の午前10時半頃には既に豊中に借りたアパートに入っていたと思う.もちろん,まだテレビもなければラジオもない.前日まで住んでいた所での事故を知る由もなく,残暑のため蒸し風呂のようになった部屋で荷物の到着を待っていた.必要なものを買いに外出もしたが,外出先で事故のニュースを耳にする機会は無かった.結局事故のことは,ある程度の荷ほどきを終えた深夜にテレビを点けて初めて知った.日付は既に10月1日になっていた.引っ越しが1日遅かったら業者は来てくれただろうか?遠く離れた大阪に来てしまい,実感の無い私が最初に考えたのはそんな程度のことだった.テレビを点けたまま横になったが,とにかく疲れていたのですぐに眠りについた.早朝には近くのコンビニエンスストアまで新聞を買いに走った.「臨界止まらず」の大きな見出しがすぐに目に飛び込んできた.厳密に言えば阪大に在籍する前の話であるが,阪大時代を語る上でどうしても忘れられない体験であるためここに記した.かくして大阪大学分子熱力学研究センターでの生活は始まったのである.

徂徠先生のことは私が大学院生の頃から知っており,その関係でOBの西森さんや中野さんは,学会などで出会った時すぐに声をかけられる人たちであった(実は,齋藤先生が一番古かったりするのだが).自分の試料の熱容量測定をお願いし,徂徠先生に測定していただいたこともあった.そのため,センターとは縁もゆかりも無いことはなかったのだが,自分で熱容量を測ったことがない上に,まさか自分が来ることになるとは思ってもいなかった.「テーマは自分で考えてください」と言われた場合に備えて,事前にあれこれ考えてはみたものの,もうひとつぱっとしない.その心配をよそにスピンクロスオーバー錯体の熱容量測定をすることが決まった.試料は徂徠先生がドイツ留学中にメスバウアースペクトルを測定された,ピコリルアミン−鉄(II)錯体である.もともと分子内電子移動現象をメスバウアー分光法で追っかけていた私にとって,スピンクロスオーバーも馴染みの現象である.ほどなく試料は合成できたが,ひとつ問題が発生した.メスバウアースペクトルでは大きなサーマルヒステリシスが観測されていたにもかかわらず,DTAを測るとそれが観測されないのである.当初は理由がよくわからなかったが,結局その試料で熱容量測定をすることになった.装置の使い方などは徂徠先生より直接手ほどきを受けることになった.試料を測定セルに封入し,熱容量計にセットするところまでは徂徠先生自身がやられた.当時はアシスさんが滞在中であり,一緒に測定することになった.年明けに初めて液体ヘリウムを使用した測定を行ったが,測定は夜11時以降まで続き,帰るため外に出ると昼間は無かった5 cm程度の積雪があり驚いたことを今でも覚えている.それ以降,大阪でそれほどの積雪は経験しなかったと思う.

内容に関してはここで述べないが,ピコリルアミン−鉄(II)錯体の熱容量測定は思わぬ事態が発生したため長引き,一応終了したのは初夏のころであった.それでもなお測定し損なった部分があり,その測定は先送りとなってしまった.測定が実行に移されたのは,徂徠先生が退官されるまであと数ヶ月に迫った頃であった.試料セルへの試料の封入は再度徂徠先生が行われたが,これは徂徠先生が大阪大学に在職中に測定に参加された最後であったと思う.どうにかデータをとり終え,まとめられた論文は日本化学会の欧文誌に投稿した.この号に紹介記事が出ているかも知れないが,採用された論文は2004年の5月号の論文賞を受賞し,その月のHeadline articleとして掲載された.色々な測定に参加させていただいたが,一番苦労した思い入れのある仕事で賞をいただくことができたのは幸運であったと思う.

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そんなことがあったからだけではなく,大阪大学で過ごした日々は最も印象深く,ずっと記憶にとどまり続けるだろう.在籍中には西暦2000年を迎え21世紀に入り,大きな事件がいくつも起こる一方で,日本人による3年連続ノーベル化学賞受賞など,阪大時代を思い出すきっかけは多い.研究室でのエピソードを全て紹介するわけにはいかなかったが,何より4年間,大阪大学分子熱力学研究センターで多くの方々と出会い,お世話になった.感謝感謝.

心残りとは思わないが,ついに吹田キャンパスには一度も行かなかった.

Fin

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