単一次元鎖磁石の磁場印加状態に関する
熱力学的性質

磁石は記録媒体や発電などに応用され,現在の私たちの生活に欠かせないものとなっています. 近年盛んに行われている磁気記録媒体などの小型高集積化に伴い,磁石サイズそのもののダウンサイジングが注目されています. 特に,分子単体が磁石として振舞う単分子磁石 (Single Molecule Magnet : SMM) ,一次元鎖単体が磁石として振舞う単一次元鎖磁石 (Single Chain Magnet : SCM) はナノスケールの磁石として注目されています. 分子磁石はミクロなスケールでデザインされた分子ユニットの集積体であるため,乱れの少ないきれいなスピン系を形成するという特徴を持ち,基礎研究を行うために非常に有用です. 特に,低温においてスピン反転が阻害に関連したスピンブロッキングと呼ばれるスピン反転の凍結に関係した独特のダイナミクスやSMMにおける分子やSCMにおける一次元鎖などそれぞれの磁石ユニットが独立した構造について興味が持たれています. しかしながら,詳細な物性については未解明の部分も多く,幅広い研究が求められています.

今回我々は3種類のMn-Ni系一次元磁性体において,鎖間の相互作用の違いが物性にどのように影響するかに興味を持ちました. 一次元磁性体[Mn(saltmen) Ni(pao)2 (bpy)] (PF6) (1) は,窒素による配位を受けたNiサイトと酸素および窒素による配意を受けたMnサイトが交互に配列した形状をしており,[Mn(3,5-Cl2saltmen) Ni(pao)2 (phen)] (PF6) (2) は (1) のbipyridine基とsaltmen基の一部を変えた構造をしており,[Mn(5-Clsaltmen) Ni(pao)2 (phen)] (BPh4) (3) は (2) のカウンターアニオンとsaltmen基の一部を変えた構造をしています. 3つの物質はそれぞれ非常に似通った構造をしていますが,わずかな分子構造の違いとカウンターアニオンの違いにより,相互作用の大きさは (1) > (2) > (3) の順になります. 相互作用が強い (1) の試料では14 Kに反強磁性転移が磁化率測定によって確かめられています. 相互作用が弱い (2) の試料になると10 Kにおいて磁化率のピークを示しますが,低温でSCMとして振舞います. さらに,大きなBPh4イオンのため鎖間の相互作用がほとんどない (3) の試料では,磁化率のピークは示さず低温でSCMとして振舞います. こうした構造が非常に似通いながらも電子物性が異なる3種類の一次元磁性体において,電子スピンに関連した熱力学量の変化は,スピンの集団現象の観点から鎖間の相互作用のチューニング効果およびSCMの本来の性質を議論する場合に非常に重要といえます. このような背景から,我々はそれぞれの物質に対して5 K 〜 30 Kの温度範囲で,熱緩和法による精密熱容量測定を行いました.

Fig. 1 Fig. 1. (Click to enlarge.) Heat capacity of [Mn(saltmen) Ni(pao)2 (bpy)] (PF6) (1), [Mn(3,5-Cl2saltmen) Ni(pao)2 (phen)] (PF6) (2), and [Mn(5-Clsaltmen) Ni(pao)2 (phen)] (BPh4) (3) under magnetic field.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Differences of heat capacities under 0 T and several high magnetic fields; [Mn(saltmen) Ni(pao)2 (bpy)] (PF6) (1) (0 T – 8 T), [Mn(3,5-Cl2saltmen) Ni(pao)2 (phen)] (PF6) (2) (0 T – 8 T), [Mn(5-Clsaltmen) Ni(pao)2 (phen)] (BPh4) (3) (0 T – 12 T).

Fig. 1は (1),(2),(3) の各試料の熱容量測定の結果をCpT −1 vs T プロットを用いて示したものです. (1) の試料では磁化率測定でも観測された反強磁性転移と見られる熱異常が11.0 Kに観測されましたが,(2) および (3) の試料で明確な熱異常は観測されませんでした. 一方,3つの試料はいずれも10 K 〜 15 Kを中心とした温度範囲で熱容量の磁場依存性を示しました. 磁場による熱容量の変化は,この温度においてスピンエントロピーに変化が生じていることを示しています. この変化について考察するため,Fig. 2に (1),(2),(3) の各試料の磁場を印加していない状態の熱容量からそれぞれ8 T,8 T,12 Tの磁場を印加した状態の熱容量を差し引いたものを示しました. Fig. 2に示したように,(1) の試料に見られるような反強磁性転移に伴うシャープな熱異常とは異なり,(2),(3) の試料で見られる熱容量の磁場依存性はブロードなものであり,かつ,鎖間の相互作用が弱くなるにつれてFig. 2に示した熱容量差のピークトップ温度が上昇していくことがわかります. これらの事実から,この温度域でのスピンエントロピーの変化は,鎖間の秩序よりも主として鎖内の秩序に関連した現象であると考えられます. また,(2) の試料より鎖間の相互作用が弱い (3) の試料では磁場依存する成分が大きく,スピンエントロピーの変化は,より純粋なSCMになるにつれて大きくなっていくことがわかります. また,熱容量差が形成するピーク形状が一般的なショットキー的な熱容量と異なる理由は,磁場によって揺らぎが抑えられると同時に,各スピン間に働く強磁性相互作用が有効的に働くため,単純なZeeman効果とは異なった熱容量の変化が起こったためであると考えられます. これらの事実から,鎖内の相互作用によって温度の低下とともに,スピンが強く結びつきSCMになっていく過程を熱的に捕らえていると考えております. どこまで相関がのびるのか,不純物等できまる難しい問題ですが,独立な鎖内のスピン相関の発達というものは非常に興味のある問題です.

今後は,SCMの磁場方向依存性や低温での詳細な物性も含めた総合的な視点で,SCMの詳細な物性を明らかにしていくことを目指しています.

(山下智史,中澤康浩)

発 表

山下智史,中澤康浩,宮坂 等,山下正廣,第43回熱測定討論会(札幌),2A1350 (2007).

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