メチル基の部分重水素化で出現する相転移
— 4-メチルピリジンの場合 —

昨年の本レポート No. 27 (2006年) (研究紹介7) で,メチル基をもつ特異な化合物でプロトンが示す量子性と,そのプロトンの重水素置換効果が顕わになる場合について解説がありました. 本レポートでも,具体例として酢酸リチウム2水和物の報告(研究紹介14)があります. ここでは,対象として4-メチルピリジンを取り上げました. この研究の興味も,回転的なトンネル現象が見られるメチル基のプロトンを逐次重水素に置き換えたときに,どのような熱物性の変化が現れるのかというものです.

Fig. 1 Fig. 1. (Click to enlarge.) The molecular structure (left) and the crystal structure (right) of 4-methylpyridine.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) The low-temperature heat capacities of 4-methylpyridine and its deuterated analogs.

Fig. 3 Fig. 3. Two possible orientations of the coupled methyl groups for C5H4N-CD3 in the high temperature phase.

4-メチルピリジンは,回転トンネルを示す物質として古くから知られている化合物です. その結晶構造やダイナミクスに関しては,これまでに精力的に研究が行われてきました. 結晶構造はX線と中性子回折実験よりFig. 1の構造をとることが明らかになっています. 注目すべき点は,c 軸方向に隣り合う4-メチルピリジンのメチル基が向かい合っていて,そのメチル基の炭素原子間距離が3.46 Åと非常に短いことです. このことから,メチル基がギアのようにかみ合って連動して回転しているというcoupled rotorモデルが考えられてきました.

Fig. 2に0.35 K以上で行った熱容量測定の結果を示します. メチル基のプロトンを全て重水素に置き換えたC5H4N-CD3では綺麗なラムダ型転移が観測されました. 2つの部分重水素化物 (C5H4N-CH2D, C5H4N-CHD2) では,転移ピークとともにブロードな熱異常が観測されました. C5H4N-CH3では同様の相転移は見られませんでしたが,10 K付近に非常に長い熱緩和が観測されました. この緩和は,回転トンネルで分裂したエネルギー準位間の遷移が,プロトン核のスピン反転を伴わなければならないため,その遅さが目立って観測されたものです.

このように重水素化により誘起された転移のエントロピーを見積もると,C5H4N-CD3はΔS = 3.0 J K−1 mol−1であるのに対し,部分重水素化物のC5H4N-CH2DではΔS = 7.9 J K−1 mol−1,C5H4N-CHD2ではΔS = 10.1 J K−1 mol−1となり,C5H4N-CD3に比べて著しく大きな値になりました. この転移エントロピーから何が言えるかを考えてみます. 一番単純なモデルは,重水素化に伴う水素の局在化によりメチル基の配向が決まり,そのメチル基の乱れが秩序−無秩序相転移として現れたというモデルです. 構造から示唆されているメチル基のcoupled rotorモデルを考慮に入れると,転移の高温側では2種類の配向の乱れが考えられるため (Fig. 3) ,C5H4N-CD3については(1/2)Rln2 = 2.88 J K−1 mol−1が予測されます. この値は実測値の3.0 J K−1 mol−1と良い一致を示します. 同様の解析を部分重水素化物についても行うと,この場合はメチル基が3回対称を失っているため,転移の高温側で合計18 (3×3×2) 通りの配向の乱れが考えられ,(1/2)Rln18 = 12.02 J K−1 mol−1の転移エントロピーが予想されます. 実測で部分重水素化物が大きな相転移エントロピーをもつのは,メチル基の対称性の低下が原因であったわけです. とはいうものの,実測値は7.9 J K−1 mol−1と10.1 J K−1 mol−1で,モデルから予想される12.02 J K−1 mol−1よりも有意に小さな値です. また,メチル基の対称性のみを考えるのであれば,2つの部分重水素化物のメチル基は同じ対称性をもつため,C5H4N-CH2DとC5H4N-CHD2は同じ転移エントロピーをもつと予想されますが,こちらも有意な違いが見られます. これらの違いをどのように説明すればよいでしょうか. 現在一番有力と思われる解釈は,部分重水素化物(特にエントロピーの著しく小さかったC5H4N-CH2D)のメチル基の水素は,転移の低温側でも非局在性が残っており(言い換えるなら,量子力学的性質が残っており),メチル基の配向が完全には決まらないというものです. このように考えれば,先程のメチル基の秩序−無秩序相転移モデルでは,1つでもメチル基のプロトンを重水素に置き換えたらメチル基の配向が完全に決まると仮定していたため,実際の転移エントロピーよりも大きい値を見積ってしまったと理解できます.

本研究は,フランスCNRSのFillaux博士らとの共同研究です.

(鈴木 晴,稲葉 章)

発 表

H. Suzuki, A. Inaba, A. Cousson, and F. Fillaux, the 62nd Calorimetry Conference (Hawaii, USA) poster #88 (2007).
鈴木 晴,稲葉 章,A. Cousson,F. Fillaux,第1回分子科学討論会(仙台),1A16 (2007).
鈴木 晴,稲葉 章,A. Cousson,F. Fillaux,第43回熱測定討論会(札幌),1C1350 (2007).

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