研究紹介 5

1−プロパノールおよびその濃厚水溶液の
熱容量とガラス転移

物質のガラス転移に関する研究は物性科学の主要なテーマの一つです.ガラス転移については純物質ばかりでなく,二成分系についても研究が盛んに行われており,その中でも水との二成分からなる系のガラス転移については大いに注目されています.本レポートでもこれまでに,水と生体分子や合成高分子,グリセロールの二成分系のガラス転移に関する研究について紹介しましたが(本レポート No. 13,14,17,19,21〜24,26〜29),何れも水のガラス転移温度(Tg = 136 K)よりも高いガラス転移温度をもつ物質との二成分系に関する研究でした.

最近,水よりも低いガラス転移温度をもつ1–プロパノール(Tg = 98 K)との二成分系である 80 wt% 濃厚水溶液の低温誘電率測定において,純粋な1–プロパノールで観測された三つの誘電緩和の低周波数側に新たに一つの誘電緩和が見出され,その誘電緩和が水の運動に起因していることが指摘されました(S. Sudo et al., AIP Conf. Proc. 832, 149 (2006)).このような水とそれよりも低いガラス転移温度をもつ物質との二成分系のガラス転移に関する研究は極めて少なく,数多く研究されている水とそれよりも高いガラス転移温度をもつ物質との二成分系のガラス転移との違いについて調べることは非常に興味深いです.今回,私たちは東海大学の新屋敷直木教授との共同研究で,純粋1–プロパノールとその濃厚水溶液の熱容量測定を行い,それらのガラス転移挙動について調べました.

Fig. 1 Fig. 1. Heat capacities of 1-propanol and its 80 wt% and 90 wt% solutions.

Fig. 2 Fig. 2. Spontaneous exothermic temperature drifts below glass transition temperatures for 1-propanol and its 80 wt% and 90 wt% solutions.

1–プロパノールは純度 99.9 wt% の市販品を真空蒸留したものを使用しました.1–プロパノール水溶液については 80 wt% と 90 wt% の濃度の水溶液を調整しました.熱容量測定は断熱型熱量計を用いて行いました.

Fig. 1 は1–プロパノールとその 80 wt% および 90 wt% 水溶液の熱容量の測定結果です.急冷した1–プロパノールでは,98 K にガラス転移による大きな熱容量ジャンプと130 K 以上で結晶化による大きな発熱が観測されました.発熱がなくなるまでアニールした試料では,148.6 K に融解による大きな熱容量ピークが見出されました.部分融解法により試料の純度を求めたところ,99.92 mol% となりました.一方,急冷した 80 wt% および 90 wt% 水溶液では冷却中に相分離による発熱が生じ,それぞれ 101 K と 102 K に相分離した1–プロパノールのガラス転移と 130 K 以上でその1–プロパノールの結晶化による発熱が見られました.発熱がなくなるまでアニールしたところ,80 wt% 試料では 144.5 K に1–プロパノール結晶の融解ピークと 210.9 K と 257.1 K に別の熱容量ピークが,90 wt% 試料では 144.5 K に1–プロパノール結晶の融解ピークと 226.1 Kに別の熱容量ピークが観測されました.1–プロパノール―水系の相図(T. Takaizumi et al., J. Sol. Chem. 26, 927 (1997))から,80 wt% 水溶液の 257.1 K と 90 wt% 水溶液の 226.1 K の熱容量ピークは相分離した氷の融点,80 wt% 水溶液の 210.9 K の熱容量ピークは相分離した1–プロパノール包接水和物結晶の分解融解に対する包晶点に対応します.80 wt% および 90 wt% 水溶液の1–プロパノールのガラス転移温度および融点が純粋1–プロパノールのと幾分異なっているのは,それらの相分離した1–プロパノールが僅かに水を含んでいることによると考えられます.

全ての試料で観測されたガラス転移温度以下の自発的発熱温度ドリフトを解析したところ,何れの温度でもデバイ型の単一緩和ではなく,KWW 型の分布をもった緩和であることがわかりました.これらの解析から求まった緩和時間のアレニウスプロットを Fig. 2 に示します.何れの試料も良い直線性を示し,活性化エンタルピーは1–プロパノールでは 23.6 kJ mol-1,80 wt% および 90 wt% 水溶液ではそれぞれ 21.3 kJ mol-1,21.8 kJ mol-1 となりました.

今回の実験では,80 wt% 1–プロパノール水溶液の誘電率測定で均一ガラス転移が得られたのと異なり,何れの濃厚水溶液でも均一ガラス転移は得られませんでした.原因の一つとして考えられるのは,実験に使用した1–プロパノールの純度が誘電率測定のと異なったことがあげられます.現在,より低純度の1–プロパノールを用いた濃厚水溶液での熱容量測定を準備中です.

(Ewa Juszyńska,宮崎裕司)

発 表

E. Juszyńska,T. Kondo,Y. Miyazaki,S. Sudo,N. Shinyashiki,S. Yagihara,A. Inaba,第45回熱測定討論会(八王子),P19(2009).

Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.