研究紹介 8

ジアセチレン化合物で見つかった固相転移

分子エレクトロニクス分野では,機能性有機超薄膜を得るのにラングミュア−ブロジェット法を用いるなどして,分子レベルでの高度な秩序構造を保ちながら分子配列を制御する試みが盛んに行われています.なかでも代表的な分子は両親媒性のジアセチレンモノカルボン酸で,その累積膜を保持したまま熱や光,放射線により容易に重合し,極めて安定性な重合膜が得られるという点で注目されています.場合によってはバルク固体でも紫外光照射などで重合反応が進行することが分かっており,この反応を1,4付加反応と呼んでいます(Fig. 1).この反応では隣り合うジアセチレン基の相対位置が重要であり,1,4位の炭素間距離が0.34〜0.40 nmのときに重合が効果的に進行するとされています.これらの現象は多くのジアセチレン化合物について確認されており,安定で秩序ある構造が前提とされています.一方,グラファイト基板に吸着したジアセチレンモノカルボン酸の場合でも,例えば,10,12–ペンタコサジイン酸(Fig. 2a,以下25DYacid)に紫外光を照射して二次元的に分子が重合したという研究例があります.また,局所的にパルス電圧を印加することで重合反応が進行することも報告されています.

Fig. 1 Fig. 1 Schematic representation of 1,4–addition reaction of diacelylene compounds to show polymerization.

Fig. 2 Fig. 2 Molecular structures of 10,12–pentacosadiynoic acid (a) and 10,12–pentacosadiyn–1–ol (b).

Fig. 3 Fig. 3 Heat capacity of 10,12–pentacosadiyn–1–ol.

Fig. 4 Fig. 4 Heat capacity of 10,12–pentacosadiyn–1–ol near the phase transition (red) and 10,12–pentacosadiynoic acid (black).

われわれは25DYacidと類似の分子構造をもつ10,12–ペンタコサジイン–1–オール(25DYacidの–COOHが–CH2OHに置き換わった分子,Fig. 2b,以下25DYol) に注目し,その二次元構造のSTM観察を行ってきました.その結果,二次元結晶の構造が吸着相の作成法に依存して微妙に変化するという興味深い現象を見出し,本レポートで報告しています(研究紹介No. 7).このことは,分子間相互作用の微妙なバランスで二次元結晶が成り立っていることを想像させます.一方で,25DYacidと同様の重合反応が起こることも確認し,それが二次元結晶の構造に依存するという結果も得ています.これらの研究はいずれも吸着膜の二次元構造と反応に関するものですが,そもそもバルク固体についてのエネルギー的な側面からの研究は皆無に等しく,結晶構造の微妙な違いによる分子間相互作用が熱物性にどう表れるかなど,興味深いことは山ほどあります.そこで今回,分子構造がよく似た上記の二種の化合物(25DYol25DYacid)について熱容量測定を行いました.断熱型熱量計を用い,25DYolでは5〜350 K,25DYacidでは5〜300 Kの温度域で測定を行いました.

まず,25DYacidには熱容量に異常が見られませんでした.一方,25DYolではFig. 3に示すように90 K付近に相転移を見いだし,330 K付近に融解を観測しました.相転移近傍の拡大図をFig. 4に示します.転移のない25DYacid のモル熱容量は,25DYolの正常熱容量を見積もるのに大変参考になりました.こうして求めた25DYolの転移エンタルピーは254 J mol−1,転移エントロピーは2.80 J K−1 mol−1でした.この転移エントロピーの値は(1/2)R ln2(= 2.88 J K−1 mol−1)に近い値であり,秩序-無秩序型の相転移であることを示唆しています.現時点では結晶構造が不明なため,転移のメカニズムについては想像の域を出ません.そこで是非とも結晶構造が知りたいところで,実際に何らかの二量体構造が存在するのか,結晶中に何らかの乱れがあるのか非常に興味深いところです.

物質の構造・物性・反応は化学研究でアプローチすべき三つの大きな局面です.また,単分子膜固体はバルク固体との対比で次元性の問題を持ち込む興味深い研究対象となっています.しかしながら,そのエネルギー的な側面の研究も決して忘れてはならないというよい教訓となりました.

(野田啓輔、稲葉 章)

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