研究紹介 11

Pd(dmit)2 電荷移動塩のスピン液体状態

X[Pd(dmit)2]2で表される一連の有機電荷移動塩では,アクセプターであるPd(dmit)2分子が伝導性や磁性などの電子物性を担います.カウンターイオンであるカチオン層とPd(dmit)2層はそれぞれの層が交互に積み重なっており,分離積層型の結晶構造をとります.カチオン層は基本的に閉殻構造をとるため直接的には電子物性に影響しませんが,アクセプター層の電子軌道の重なりが変化します.Pd(dmit)2塩は物性のデパートと呼ばれており,わずかな電子軌道の違いによっても電子物性が劇的に変化します.このため,カチオンの系統的な変化による物性のコントロールが可能です.中でも,EtMe3Z[Pd(dmit)2]2は,カチオンのわずかな変化により反強磁性,量子スピン液体(Fig.1 a),量子スピン液体が途中で凍結したvalence bond solid(VBS)状態等(Fig.1 b)のさまざまな状態が実現します.特に,EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2で実現する量子スピン液体状態は,スピンシングレットペアが組み換わりながら揺らぐ特殊な量子状態で(Fig.1 a),世界でも実現例が極めて少ない状態です.我々はこれまで,EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2の低温熱容量測定を行い,熱容量に温度に比例する項 (T-linear項)が存在することと,クロスオーバー現象を示唆する熱容量のブロードなピークが存在することを明らかにしてきました.これらは,量子スピン液体のモデル物質であるκ–(BEDT–TTF)2Cu2(CN)3と共通した特徴ですが、EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2の量子スピン液体をより厳密に検証するためには,量子スピン液体の隣接相との違いを明らかにすることが重要です.

Fig. 1 Fig.1 The schematic figures of (a) quantum spin liquid state and (b) valence bond solid (vbs) state.

Fig. 2 Fig.2 The temperature dependence of heat capacity of EtMe3Z[Pd(dmit)2]2 (Z=Sb, As, P). The EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2 shows linear relation with finite values.

Fig. 1 Fig.3 CpT-1 vs T2 plot of EtMe3P[Pd(dmit)2]2 and EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2 obtained in a temperature range between 0.8 K and 7 K. There is considerable difference in heat capacities by the difference of cations.

このような背景から,我々は,量子スピン液体を実現する物質とこれに隣接する相である反強磁性相とVBS相を実現する3種類のPd(dmit)2塩,EtMe3Z[Pd(dmit)2]2 (Z = Sb, As, P;以下,それぞれSb塩,As塩,P塩と略記)の性質を比較するため,これらの物質の低温熱容量を測定しました.測定には研究室で独自に開発した緩和型熱量計を用いて,温度範囲0.8 K~7 Kまでの範囲で測定しました.

Fig.2に,測定の結果得られたSb塩,As塩,P塩の2.3 K以下の熱容量の温度依存性をCpT-1 vs T2プロットで示します.図2に示すように,As塩,P塩の熱容量は温度の3乗(CpT-1=T2 ;図中の外挿線)でよくフィッティングされ,T–linear項は見られませんでした.これはSb塩とは決定的に異なる特徴であり,この事実よりT–linear項がSb塩特有の特異な性質であり,Sb塩において量子スピン液体が実現している証拠であることが確認できました.

Fig.3に,7 K以下のSb塩とP塩の熱容量の温度依存性をCpT-1 vs T2プロットを用いて示します.Fig.3に示すように、Sb塩では3.7 K付近にブロードな熱異常が見られますが,P塩ではこのような熱異常は観測されませんでした.これは,先ほどのT-linear項と同様に,ブロードな熱異常が量子スピン液体の特異な性質であることを意味しています.一方、7 K におけるCpT-1の絶対値はそれぞれ,Sb塩:1200 mJ K-2 mol-1,As塩:800 mJ K-2mol-1(図示せず),P塩:600 mJ K-2 mol-1であり,各塩間で大きな違いが見られました.この違いは量子スピン液体に残るスピンの自由度だけでは説明できないほど大きいもので,Pd(dmit)2塩の格子の偏重による熱容量の違いが現れたことを示唆しています.実際には,カチオン層の熱容量の違いが反映された影響も十分に考えられますが,我々はPd(dmit)2層内の1次元スタックの存在が関係している可能性が高いと考えています.この1次元スタックの存在はもう一つのモデル物質であるκ–(BEDT–TTF)2Cu2(CN)3にはないもので,こうした構造的な違いが量子スピン液体状態にどのように影響するかについては大変興味深い問題です.

我々は今後、このような結晶構造と電子状態の関係の調査を継続し、量子スピン液体の詳細および量子スピン液体と隣接相との関係を明らかにしていくことを目指しています.

(山下智史, 山本 貴)

発 表

山下智史, 山本貴, 中澤康浩, 田村雅史, 西尾豊, 加藤礼三, 第45回熱測定討論会 (東京)

Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.