分子性導体は,遍歴する電子が引き起こす超伝導,密度波形成などの興味深い性質を示す一方,電子相関効果によって電子が局在化した低次元磁性体,電荷秩序系としての性質を併せ持つ興味深い物質系です.近年,様々な特異性を示すドナーやアクセプター分子が多数合成され,その物性が広く議論されています.このような,新規に開発されたドナーやアクセプター分子は,複雑な構造を示すため,結晶の大型化が困難であり,粉末状の試料による構造解析や物性測定をしなければいけないことも多々あります.熱容量測定は,エントロピーに関する直接的な情報を得ることができるため,物性研究に欠くことのできない手法です.大型化が難しい電荷移動塩の熱測定は,微結晶を用いた交流法による相対的な測定と,粉末をペレットに成型した状態での緩和法による測定を併用するケースが多くありますが,ペレットの作成によって生じるひずみによって結晶の状態が大きく変化し,シャープであった相転移がブロードになることがあります.本研究では,ペレット試料を用いた緩和法測定の問題点を評価しました.
Fig.1, (a) Molecular structure and (b) crystal structure of Au(tmdt)2.
Fig.2, Result of low temperature heat capacity measurements of four different pellets of Au(tmdt)2.
Fig.3 Low temperature heat capacity of Au(tmdt)2 under various magnetic field.
緩和法は1972年に初めてR. Bachmannによって開発されました.現在では市販の装置も開発され,熱測定の代表的な手法として普段からよく用いられています.この緩和法の特徴として,微少量でも絶対精度のある熱容量測定を行えること,極低温域でも測定可能であることなどがあります.今回の研究では,[Au(tmdt)2] (tmdt=trimethylenetetrathiafulvalenedithiolate)を緩和法で測定しました.この分子の結晶は近年合成された単一成分分子性伝導体のひとつで,その構造をFig.1に示します.中心に核となる金属イオンを持ち,TTF系の配位子が連なった横長の平面構造をしています.これまで,NiやAuなどのイオンを核に持つものが合成されてきましたが,両者は300 K以下で金属状態であることが磁化率測定等からわかっています.また,Auでは110 K付近において反強磁性転移を示すことが知られています.この化合物ですが,非常に微小な粉末状の結晶しか得られておらず,熱容量測定を行う上では大きな困難を伴います.今回は緩和法での測定を行うため,粉末状の結晶を集めてペレット状に成型し,測定を行いました.その結果をFig.2,Fig.3に示します.
Au(tmdt)2の熱容量は,成型する際の圧力によって5倍近くまで変化し,圧力が高いほど熱容量は大きくなりました.サンプルの微妙なばらつきにより,多少の変化が生じる可能性はありますが,今回の変化は系統的なようです.緩和法では,試料内部の熱伝導がよく,温度勾配がないことを前提とします.市販装置のPPMSでも,試料とステージのコンタクトはtwo–tau法によって解析しますが,内部の熱勾配がある場合には,測定が成立しません.しかしながら,今回の測定では緩和カーブは常に単一緩和の状態になっており,試料の量やペレットの厚みからくる問題ではなく,固めた圧力の効果によって試料自身の熱容量が大幅に変わったように思われます.低温の磁場中熱容量は確かに変化しますが,それほど劇的ではなく,格子熱容量そのものが大きく変わっているように見えます.磁気不純物を誘引するかたちではなく,格子振動が大きく変化する現象は,非常に珍しい性質のように思われます.このような大きな変化が起きた原因についてはさらに調査しているところですが,ペレットの作成の際に測定対象であるAu(tmdt)2の格子が乱れたことによる効果ではないかと考えています.(DI-DCNQI)2Agなど,これまでペレット測定を行った他の有機導体と比較してもその効果が大きいことがわかります.実際(DI–DCNQI)2Agでは粉末と結晶では格子熱容量にはそれほど大きな相違はあらわれていません.他のtmdtでの評価を行うことが必要なようです.
森浦智也,井上祐輔,山下智史,中澤康浩,第45回熱測定討論会(八王子),P06(2009).