この度,上記センターの発足の記念として,第1回構造熱科学シンポジウムが開かれ,その報告書を作成するとの由,稲葉センター長からの御通知があり,そのための前付けとなる文章を書く様御依頼がありました. 誠に光栄に存じます. 御存知の様に,老生この5月,満94歳の高齢の老人,阪大定年後30年,しかも体調・気力共に不充分で,シンポジウムの欠席も致し方なく,どうか御赦し下さい. 又,記憶力もすっかり衰えておりますので,淡い憶出を辿りながら阪大化学教室に創られた流れの背景について,二三の記憶に残った事柄をやゝ順不同で述べさせて頂きます.
そもそも,この様なセンターを創設したいとの考えの根源は,恩師仁田勇先生の哲学に基づいております. 先生は創立された阪大理学部に御着任までは,理化学研究所の物理系西川研究室に属し,X線結晶学に基づく分子構造研究をしておられ,新たに「化学教室」で「結晶化学」を根付かせるには,「構造研究」と同時にその「エネルギー的側面」を,宛かも車の両輪として研究すべきとされ,助手の 故 末永勝二さんに熱容量測定を命じられました. その成果が着実に出初めた頃,末永さんが不幸にも夭折され,その後継者として老生(当時卒研学生)に,ペンタエリスリトール結晶の分子間水素結合エネルギーの決定の為「昇華エンタルピー」の測定を命ぜられたのが,老生の生涯熱測定の研究の出発点でした. 当時,我國では,構造化学的研究が物性化学の主流でした. 1938年以来,老生,全國の國,公,私立他大学大学院(約40回)で化学熱学の特別講義を致しましたが,その初期の院生のアンケートの調査では約半数以上の学生の答えは「化学熱学は過去の完成されたものに過ぎないもので研究テーマはない」という解答でした. その頃迄の化学熱学の我國での歴史については老生が日本化学会の百年史等に執筆しましたので御参照下さい(1).
話は元に戻り,上述の阪大仁田研究室の研究は申すまでもなく,私共の研究室でも極めて優れた協同研究者に恵まれて,多方面の発展が進められました. その一端の詳しい道筋は,菅名誉教授の御援助で昨年行われた日本化学会・化学遺産委員会の「化学語り部」でのテレビ録画・録音でのインタビューの記録冊子その他を御参照下されば幸いです(2).
さて,化学教室に化学熱学研究センターが設置された経緯について触れたいと思います. 1975年3月22日,化学・高分子教授懇談会で老生,このセンターの設置要望書(案)の提出の承認をいたゞき,1978年5月の理学部教授会での御推薦をいたゞいて,以降大阪大学当局の概算要求重点事項として承認を得たのが出発点です. 1979年1月には文部省の承認をいたゞいたことは皆様よく御存知と存じますが,その過程での憶出を二三,略記したいと存じます.
話は逆になりますが,上述の創立を決意した情況を一二述べます. 一つは老生の外国出張ですが,それは,敗戦後占領下の未だ社会の不安定の頃,欧米の研究状況を視察して帰国された仁田先生の強い御勧めでした. 幸い私共の柔軟性結晶の研究に興味を示されていたペンシルバニア州立大学の Aston 先生からの招待でアメリカの留学をしたことによります. その結果,研究の発展の為には,世界に開かれたものでなければならないことを身を以て痛感し,米国の第11回カロリメトリー会議(1956年)に我國から初めて参加し,その結果,IUPAC,その他多くの国際組織に参入できました. その必要から我國にも研究母体の存在の必要性を痛感,1973年,日本熱測定学会創立に発展したことです. 今一つ,大きい動機は,我國での極低温研究の必要性を力説された物理教室の永宮教授の御尽力でヘリウム液化機が導入され,私共の永年の夢であった第三法則エントロピーの測定が菅博士の断熱熱容量計の開発で達成され,以来,おびただしい物質群の熱容量の測定が発展したことでしょう. 云う迄もなく,その後の発展に欠かせない優れた若い研究者の貢献がありました. 上述の熱測定討論会年会は本年第45回を迎えますが,一方,その発展の成果で1996年(平成8年), IUPAC の ICCT 国際会議が我國で東洋で初めて開催され,菅センター長やその後任の徂徠センター長の御尽力で成功,さらには日中,日米の二國間国際会議も定期的に開かれております. また,1977年には我國で初めて第5回 ICTA 学会が開かれたことは重要な成果でした. 上述のセンター発足が文部省で認められたことが,これらの発展の大きな原因です.
以上国内,国際関係の発展の30年を振り返りますと,老生阪大退職後,設立されたこの進展,この30年の歴史で,原動力は菅教授の献身的御尽力,そしてそれを更に押し進められた徂徠センター長,そして最近の発展を見事に達成された現稲葉センター長の御努力の賜物,そしてそれを支えられた多くの協力者の優れた研究成果です. それらの詳しい歴史は,菅センター長の卓識によりスタートした阪大化学熱学レポート29冊に記録されました.
この度の新しい構想を元に設立された本センターがこれらの伝統をふまえ,更に進展することを心より御祈りし,この「構造熱科学研究センター」の更なる発展を期待し,老生の拙ない祝辞と致します.
(この祝辞は第1回構造熱科学シンポジウム冊子にいただいたものを転載いたしました)
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