われわれのグループでは,これまでに液晶相を示すシアノビフェニル化合物5CBおよび8OCBの末端鎖に枝分かれ構造を導入した構造異性体5*CBおよび8*OCBの相挙動を精密熱容量測定によって調べてきました(No. 23 研究紹介13,No. 26 研究紹介11).また,8OCBの末端鎖にもうひとつ酸素原子を導入した6O2OCBの相挙動についても本レポート(研究紹介5)で報告しています.それらの結果は,末端鎖の違いが相挙動に大きな影響を及ぼすことを示しています.本研究では,これらシアノビフェニル化合物の分子運動を中性子準弾性散乱実験で調べました.
Fig. 1. The dynamic structure factor S(Q, ω) of 5*CB.
Fig. 2. The diffusion constants of 5*CB and 5CB for the narrow and broad components of QENS spectra. The lines show the functions fitted.
Fig. 3. The diffusion constants of 8*OCB, 6O2OCB and 8OCB for the narrow and broad components of QENS spectra. The lines show the functions fitted.
棒状のシアノビフェニル化合物では,分子の長軸回りと短軸回りの回転運動が考えられます.慣性モーメントの大きな短軸回りの回転運動は非常に遅く,通常の中性子散乱では観測できません.今回ターゲットにしたのは,液相(等方液相もしくは液晶相)における分子長軸回りの速い運動です.散乱実験によるダイナミクスの研究は,分子や原子の自己相関を調べることであり,これは非干渉性散乱として検出されます.中性子の散乱断面積は原子核ごとに異なりますが,分子中にC, H, O, Nしか含まない今回のような化合物では,プロトンの非干渉性散乱断面積が他を圧倒します.したがって実験で得られた散乱スペクトルは,プロトンのダイナミクスに由来しており,プロトンは分子全体に広がっているので,得られる結果は分子そのものの運動とみなすことができます.
中性子準弾性散乱では,弾性散乱ピークの広がり(これを準弾性成分と呼びます)から散乱している原子の運動の大きさを,またピーク幅のQ依存性(Qは散乱による中性子の運動量変化)から原子の運動の種類が決定できます.Fig. 1に5*CBのスペクトルを示します.得られたピークは2つのローレンツ型の関数の和でフィットでき,2種類の運動が同時に観測されたことがわかります.ピーク幅のQ依存性および別に行った分子動力学シミュレーションの結果から,2つの運動モードは分子長軸回りの速い再配向運動(幅の広い成分)と比較的遅い末端鎖のランダムな運動(幅の狭い成分)であると同定しました.2つの成分のピーク幅からそれぞれの拡散定数を求め,その温度依存性をアレニウスプロットで示したものがFig. 2です.参照実験として行った末端鎖に枝分かれのない5CBの結果と比べると,5*CBの末端鎖のランダムな運動(狭い成分)が明らかに5CBよりも遅くなっていることがわかります.これに対して分子長軸回りの再配向運動(広い成分)は5CBと顕著な違いが見られませんでした.
Fig. 3に8*OCBおよび6O2OCB, 8OCBの結果を示します.5*CBと同様に,枝分かれ構造をもつ8*OCBの末端鎖のランダムな運動は明らかに8OCBよりも遅くなっています.一方,同じ運動モードにおける6O2OCBの拡散定数は8OCBと同程度です.これは,末端鎖に酸素原子を導入しても,そのモビリティが大きく変化しないことを意味します.熱容量測定から明らかになった6O2OCBの結晶相挙動は8*OCBに近いものでしたが,液晶相を示すという点では8OCBに類似しました.6O2OCBが液晶相を示すのは,6O2OCBの末端鎖が液相で8OCBのアルコキシ鎖に近いモビリティを保持するためと考えられます.一方,結晶相では,末端鎖の折れ曲がり (–OCCO–) 構造が枝分かれ構造に類似する分子パッキングをもたらすため,8*OCBに近い結晶相挙動になったのかもしれません.
本研究は,ポーランドのクラクフ核物理研究所および東京大学物性研究所との共同研究であり,中性子散乱実験は日本原子力機構のJRR–3に設置されている分光器AGNESで行われました.
H. Suzuki, A. Inaba, J. Krawczyk, M. Massalska-Arodź, T. Kikuchi, and O. Yamamuro, J. Non-Cryst. Solids (2010) in press.
Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.