Fig. 1. Temperature dependences of low-temperature heat capacity plotted as CpT −1 vs T −2. The finite electronic heat capacity coefficient scales to the static magnetic susceptibility value at T = 0 K.
磁性の分野で近年研究されている課題として, 三角格子やカゴメ格子におけるスピンフラストレーションの問題があります. フラストレーションがあると,スピンは互いに強い相互作用をし合いながら, 幾何学的配置に関する制約から秩序構造をとることができず,低温で新しいマクロな基底状態をつくる可能性があります. 有機物質,無機物質を問わず,低次元系の特殊な構造で生じるこの問題は,大きな関心をもたれています. これまで,このような三角格子,カゴメ格子でスピン液体的な性質を示す可能性のある物質が少なくとも7種類知られていますが, その中で三角格子系で液体状態をつくると言われている物質は,ここであげる二つの分子性の電荷移動塩であり, 昨年までの化学熱学レポートで紹介してきました.有機超伝導などで非常によく知られている κ–(BEDT–TTF)2Xという組成をもつ一連の化合物の仲間である, κ–(BEDT–TTF)2Cu2(CN)3という塩では,BEDT–TTF分子同志が面と面を向き合わせて二量体化したユニットが理想的な二次元の三角格子をつくります. これはドナーとアニオンからなる塩ですが,Pd(dmit)2というアクセプター分子とEtMe3Sb+のカチオン性分子が塩をつくった電荷移動塩でも,Pd(dmit)2の二量体が理想的な三角格子をつくります.
これらの有機分子からなる三角格子の特徴は, 両塩ともに二量体を基本構造とするMott絶縁体であり, 量子性の高いS = 1/2が非常に強い反強磁性の相互作用によって結びつけられているところにあります. 磁気相互作用の大きさはJ/kB = 250 K程度で兩塩とも近い値を示します. 我々は,これらの二つの物質を比較して系統系に議論することが, スピン液体の理解に重要ではないかと考えました.Fig. 1に二つの塩の低温熱容量を比較しています. これらの二つの塩では,それぞれ12.6 mJ K−2 mol−1, 19.9 mJ K−2 mol−1という電子熱容量係数を与える温度に比例する項が存在することがわかります. このことは,スピンの基底状態からの熱励起が連続的になっており,金属のような電子の流体(Fermi液体)のような連続準位をもつスピンの液体状態を与える証拠だと考えられます. もし,この係数がこのような連続的な励起から生じているなら, 係数はスピン励起の状態密度に比例するはずです.そのような場合, 他の静的な熱力学量として決まる磁化あるいはそれを磁場で割った磁化率とも関係があるはずです. 熱容量の温度に比例する項の係数 とT = 0 Kでの常磁性磁化率 (0)の関係は,Wilson比という量で比較されます. 磁化率は温度依存性がありますが,数K以下の一定になっているところで評価すると, BEDT–TTFでは2.9×10−4 emu mol−1,Pd(dmit)2塩では4.4×10−4 emu mol−1となり,Wilson比に直すと, それぞれ1.10,1.13という値になります.このことは,スピン液体状態が両方の塩で生じており, 状態密度を媒介して磁性測定にも現れていることを示しています.両者のスピン液体としての特徴は良く似ていますが, 最近の熱伝導の実験から,BEDT–TTFの塩では0.4 K程度の大きさをもつ非常に小さいギャップが開く可能性が示唆されています. 熱容量の測定ではBEDT–TTF分子をd化した試料を含めて,特にその兆候は見られていませんが,非常にブロードな変化であり, 低温で現れるショットキー熱容量に隠されているのかもしれません.
二つの塩では,状態図の様子が大きく異なります.BEDT–TTF塩では二次元的な配列が安定であり, 圧力など外的環境を変えてもスピン液体相が比較的広い範囲で安定になります.ところが,Pd(dmit)2塩では, 三角格子を構成している二量体が一次元的に積層するような構造上の特徴があります. そのため,周辺には多様な電子相があり, 反強磁性的な相と電荷秩序を起こす相に挟まれた僅かな領域にのみ液体相が存在しています. 反強磁性相は二量体をユニットとし,そこにスピンが強く局在する ダイマー間でのクーロン反発が大きい場合に生じ, 電荷秩序相はむしろ一つ一つの分子間で働くクーロン反発で起こる傾向があります. その両者の性質の共存,競合が,スピンだけでなく格子の熱容量を含めてこの物質の熱力学的な性質を決めているようです. 実際にPd(dmit)2系の代表的な塩の熱容量の温度依存性を比較してみると, スピン液体状態の物質の格子熱容量の大きさは他の塩と比べても大きくなっています. このことは,スピンだけではなく,電荷や格子の自由度を含めた変化がこれらの系では重要であることを示しています.
フラストレーション系では, 縮退した状態で残る原子,分子レベルの自由度が低エネルギーで新しい秩序や基底状態を形成しています. ギャップの形成の有無や1 K以下の低エネルギー領域での状態変化は, 多体効果に基づく新しい自由度が作り出すデリケートな量子多体効果と関連しています. 熱的な測定は, このようなスピン系の基底状態の研究には不可欠な測定です. 系統的な圧力変化等を調べ,電子状態をさらに詳細に調べていきたいと思います.
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