ボルボサイト(Volborthite:Cu3V2O7(OH)2•2H2O)は地球内部の高圧下で生成される黄緑色の天然鉱物です.その人工的な合成は非常に困難ですが,最近,東大物性研の廣井グループによって良質な粉末試料が得られるようになりました.このVolborthiteはCu2+が理想的な二次元的なスピン系をつくり,さらにHerbertsmithiteやVesignieiteと同様にカゴメ格子をつくっています.二次元のカゴメ格子化合物は,三角格子と同様にスピンのフラストレーションをもつ物質です.理想的なカゴメ格子では三角格子よりもフラストレーションが強く,その結果,低温までスピンが秩序化せず,基底状態では液体のようになることが予想されています.また,残余エントロピーがあることも量子計算から示唆されています.我々は,昨年度,その低温比熱の測定結果から約1 Kの付近で熱容量に異常が現れることについて報告しました.また,物性研グループのNMRの実験から通常の反強磁性転移などとは大きく性質の異なる短距離的なスピンの秩序化が起こっていることが報告されました.今回は格子熱容量を評価し,低温での磁気熱容量の磁場依存性を研究するために,Cuサイトを非磁性のZnに置き換えた化合物Zn3V2O7(OH)2•2H2Oを含めた精密な測定を行い,磁性について議論しました.
Fig. 1. Temperature dependences of heat capacity divided by temperature for volborthite at magnetic fields between 0 and 7 T. The lattice heat capacity is estimated based on the data of Zn compound.
Fig. 2. Temperature dependences of magnetic heat capacity (Cmag) of volborthite. The broad hump structure characteristic of short-range fluctuations in Kagome lattice is observed.
Fig.3. Magnetic heat capacity of volborthite at low temperature around 1 K in a CmagT −1 vs T plot. The extrapolations of the data at H = 0 above and below 1 K down to T = 0 give the coefficients of the T–linear term in the magnetic heat capacity. The T–linear term disappears under magnetic fields above 5 T.
測定は研究室既設の3Heクライオスタットに搭載した緩和型の熱量計を用いて行いました.粒形の細かい粉末試料のため,試料内部での熱分布が起こらないように出来るだけ薄く成型したペレット試料を用いて熱測定を行いました.
Fig. 1に熱容量の温度依存性をCpT −1 vs Tのかたちでプロットしています.Volborthiteの熱容量はZn置換した試料と比べ,この低温領域で非常に大きくなります.ZnのデータをDebyeモデルでフィッテングすると,約340 K程度のデバイ温度となります.図に示したLatticeの表示はZnのデータを用いて評価したCuの格子熱容量の見積もり値になります.ここからVolborthiteの0 T – 7 Tまでの磁気熱容量を計算してプロットすると,Fig. 2のようになります.磁気熱容量は8 K付近にブロードなピークをつくり,CpT −1の値は磁場によって少しずつ増加しています.カゴメ格子の熱容量の理論計算によると,磁気的な相互作用の値をJ/kBとすると,0.7J/kBと0.1J/kBに二つのピークが出ることが示唆されており,この8 Kでのピークは低温側のものと考えられます.Volborthiteの磁気相互作用の値はJ/kB = −77 K程度であることと矛盾なく理解できます.この低温側での振る舞いを拡大して見たのがFig. 3になります.この図を見ると,0 Tのデータは1 Kから3.5 Kまで直線的になり,それを外挿すると大きな切片,すなわちγ項を与え,熱容量には温度に比例する成分とT2に比例する成分があることがわかります.Tに比例する成分の存在は,この温度領域ではスピン系が液体的に揺らいでいる状態になっている可能性も示唆しています.
1 K以下でスピンの状態が変化すると,CpT −1がT* = 1 K付近で顕著な折れ曲がりを示します.これは,揺らぎの強い液体的な状態から何らかの秩序,もしくは凍結状態になっていることを示唆します.熱容量測定の結果から,1 K以下ではγ項が小さくなり,高温から外挿した約40 mJ K−2mol−1の値から16 mJ K−2mol−1に減少していきます.この状態変化を経て,低温相は磁気励起にギャップが生じかけていることを示しています.それでも完全にγ値はゼロまで落ちてはおらず,このことは,この磁気的な変化が短距離的な性質をもっていることを示唆しているように思えます.さらに,磁場を印加すると,1 Tの磁場を印加しても熱容量は0 Tから変化がありませんが,3 Tでは0 Kに外挿したγ値が10 mJ K−2mol−1程度まで落ちていきます.5 T,7 Tと磁場を上げていくと,この値はゼロになり,ギャップが空いた状態へと変化します.低温,低磁場で見出された奇妙な性質はエントロピーとしてもRln2の1 – 2%程度の非常に小さいものですが,不純物の効果とは異なり,実験的な再現性もあります.フラストレートしたスピンの個々の自由度ではなく,ある程度広がりをもったところで生じる量子性を伴う新しいスピン秩序と考える必要があるかもしれません.電子スピンの局在系である絶縁体の磁性体で,このような伝導電子系のような小さいエントロピーを伴う変化が現れるのは,スピンが液体的な状態となるフラストレートシステムの大きな特徴と考えられます.
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