研究紹介 13

キラル磁性体の磁場誘起一次相転移

キラリティーの概念は物理学から生物学までの幅広い分野で登場し,各分野で非常に重要な役割を担っています. 本研究で注目したキラル磁性体はこのキラリティーが磁性現象にも表れる非常に興味深い物質であり,その熱的性質に関心が持たれています. キラル磁性体の特異な磁性現象はその結晶構造の特異性(キラリティー)に由来します. 結晶構造がキラルな構造を有する場合,その構造上に配置されたスピンも双極子双極子相互作用,DM 相互作用,磁気異方性などによってキラルな磁気構造を形成します. キラル磁性体はこのキラルな磁気構造に由来してこれまでにない磁気現象を示すと考えられます.

Fig. 1 Fig. 1. CpT -1 vs T curves of chiral and racemic W-Cu complexes. Large thermal anomalies are originated from magnetic phase transitions of W and Cu spins in both samples.

Fig. 2 Fig. 2. Heat capacities of chiral W-Cu complex under magnetic field parallel to b-axis.

Fig. 3 Fig. 3. Heat capacities of chiral W-Cu complex under magnetic field parallel to c-axis.

本研究で対象とした物質は以前に本レポート(2009年,研究紹介13)でも紹介した配位子として不斉炭素を一つ有する pn = 1,2-diaminopropane を導入することで結晶構造にキラリティーを持たせた [W(CN)8]4[Cu(pn)H2O]4[Cu(pn)]2∙2.5H2O(W-Cu complex)というものです. 前回は,pn 配位子が S 体のみの試料(キラル体)と,S 体と R 体を等量含んだラセミ体について測定を行い,それぞれで磁気転移が異なること等を報告しました. 今回,キラル体について方向依存性及び,各方向での磁場強度依存性を検証したので紹介します. Fig. 1 に今回測定したキラル体(R 体)と前回までに測定したラセミ体のゼロ磁場下での測定結果を示します. 前回測定した結果と異なり,今回測定した R 体試料ではゼロ磁場下で肩のような構造は見られず,転移温度も異なる結果が得られました. 今回紹介する測定に用いた試料の他に,S 体,R 体共に複数試料で測定を行っていますが,肩のような構造の有無,転移温度は試料ごとに異なるという結果が得られています. この試料依存性の明確な理由はまだ得られていませんが,現在はキラル体に一部ラセミ成分が混入していることで磁気構造が一部乱れることに由来しているのではないかと考えています.

Fig. 2にキラル体のb軸方向に磁場を印加した結果,Fig. 3に c 軸方向に磁場を印加した場合の結果を示します. c 軸方向に磁場を印加するとそれに伴い,熱異常が抑制され,1 T 程度でほぼ見られなくなるという結果が得られました. これは磁場によって磁気秩序が不安定化される反強磁性体の典型的な振る舞いです. 一方で b 軸方向に磁場を印加した場合は,低磁場領域では,c 軸方向での結果と異なり,熱異常が高温側に変化するという強磁性的な振る舞いが見られました. 熱容量測定の結果と比較するために磁化率測定を行ったところ,b 軸方向に磁場を印加した場合,低磁場領域で転移温度において磁化率が急激に増加するという結果が得られました. この結果も b 軸方向に強磁性成分を持つことを示唆する結果です. 以上の結果は,結晶の非対称性に由来する DM 相互作用により,スピンが b 軸方向に傾いた傾角反強磁性秩序を形成することにより,弱強磁性成分が b 軸方向に存在していることに由来するものだと考えられます.

さらに b軸方向に強い磁場を印加すると,熱異常が抑制される振る舞いが見られました.これは,磁場による反強磁性秩序の不安定化に由来すると考えられますが,2 T 程度の磁場を印加すると一度抑制された熱異常が,鋭い熱異常に変化するという結果が得られました. この鋭い熱異常が観測される磁場,温度領域で詳しい測定を行った結果,2 T 付近で一次の相境界が存在していることが分かりました. この結果は,他の試料でも一次転移の現れる磁場,温度域は異なりますが,同じ磁場印加方向で(b 軸)すべての試料で見られたことから本試料特有の本質的な振る舞いであると考えられます. 以上の結果から,本試料は磁場印加方向,強度に依存した特異な振る舞いを示し,一次転移は b 軸方向でのみ現れることが分かりました. このような磁場印加方向に依存した磁気現象は他のキラル磁性体でも見られており,本研究で得られた結果も結晶のキラリティーに由来した現象であると考えられます. 今後は,ラセミ体についても詳細な磁場依存性を検証,比較を行うことで,以上に紹介した現象が何に由来しているか,その原理を明らかにしていきたいと考えています.

(福岡脩平,中澤康浩)

発 表

S. Fukuoka, T. Yamamoto, Y. Nakazawa, H. Higashikawa, and K. Inoue, the 66th Calorimetry Conference (CalCon 2011) (Hawaii, USA), 70 (2011).
福岡脩平,山本 貴,中澤康浩,東川大志,井上克也,第47回熱測定討論会(桐生),3B1300 (2011).

Copyright © Research Center for Structural Thermodynamics, Graduate School of Science, Osaka University. All rights reserved.