研究紹介 15

Di-μ-methoxo-bis-
(2,4-pentanedionato)dicopper(II)
([Cu(acac)(OCH3)]2) 錯体における
磁場下でのメチル基のトンネル回転

有機化合物の中で最も小さい置換基としてメチル基があります. この単純な構造のメチル基(–CH3)ですが,低温領域で興味深い物理現象が現れます. 例えば,メチル基の1つのプロトンをデューテロンに置換した(–CH2D)場合,低温で配向性の違う3つの状態の秩序化が存在することが知られています. また,分子が回転現象を起こすためには束縛ポテンシャルを越えなければならないため,そのポテンシャルを越えることのできない温度領域では回転現象は観測されませんが,メチル基では量子効果により束縛ポテンシャルをくぐり抜けることで回転する,トンネル回転と呼ばれる現象が存在します. このトンネル回転の現象は,回転運動とメチル基の3つのプロトンの核スピンがカップリングすることで,I = 3/2と1/2のエネルギーレベルにそれぞれ4準位縮退した状態が存在し,トンネル回転を起こすためには核スピンの反転が必要となります(Fig. 1).

Fig. 1 Fig. 1. A potential curve hindering a rotation of CH3 group and its level splitting. I is the total nuclear spin quantum number of three protons.

Fig. 2 Fig. 2. Temperature dependence of the heat capacity of [Cu(acac)(OCH3)]2 shown as CpT −1 vs T2 plot under different magnetic fields.

Fig. 3 Fig. 3. lnΔT vs. t plot at 0.9 K under 7 T. The data suggested that the relaxation time of quantum tunneling was slower than spin-lattice relaxation time.

トンネル回転が熱測定により観測された例としましては,[Ni(OCH3)(acac)(CH3OH)]4 錯体などが知られています. [Ni(OCH3)(acac)(CH3OH)]4 錯体ではメトキシ基のメチル部分がトンネル回転を起こし,1 K – 2 K 付近に大きな熱異常が観測されています. またスピン液体として注目されている EtMe3Sb[Pd(dmit)2]2 電荷移動錯体でも,メチル基が 1 K 付近で低温側に発散する熱容量が観測されています. この物質では磁場中で緩和法により測定したところ,磁場を大きくすることにより熱容量が小さくなるという通常のショットキータイプの熱容量では見られない現象が報告されています. 先ほど説明しましたように,トンネル回転はプロトンの核スピンが関係する現象ですので,磁場印加中での現象を調べることは大変興味深いと思われます. しかしながら,トンネル回転の磁場中での変化を熱測定で詳細に調べられた例は未だに存在いたしません. そこで今回我々は,トンネル回転の磁場印加中での現象を理解するために,トンネル回転を起こすことが報告されております [Ni(OCH3)(acac)(CH3OH)]4 と類似した [Cu(acac)(OCH3)]2 を合成し,磁場中での熱測定を行うことにしました.

サンプルは CuCl2 から2段階の合成により精製した[Cu(acac)(OCH3)]2 の粉末 1.106 mg(2.64 × 10-6 mol)をペレット状にしました. これを 3He クライオスタットを用いて本研究室自作の微小試料測定用セルにより,0 T – 14 T の磁場下で緩和法測定を行いました.

各磁場下での CpT −1 vs T2 の測定結果を Fig. 2 に示します. Cu2+ スピンのショットキー熱容量が 1.5 K 以上にあらわれていますが,これは磁場と共に高温に動く通常の常磁性体のふるまいをしています. また,より低温領域にメチル基のトンネル回転による熱異常があります. この熱異常は 7 T – 12 T の間で減少し,14 T の磁場下ではピーク自体が消失しました. このような変化は緩和法の温度変化の中に,非常に長い緩和時間を持つ成分が存在し,熱容量の算出でよく知られている単一指数関数や two-tau 法では十分でないためと思われます. そこで,低温領域での緩和カーブを ln プロットにしました(Fig. 3).通常,単緩和では

formula1

と表されるために,t に対して lnΔT は直線のプロットとして得られることが期待されます.しかしながら,今回のプロットでは大まかにいって2成分の直線が合わさったプロットが得られました.これは,格子などの早い緩和の他に遅い緩和が起こっていることを意味しています.さらに,この遅い緩和過程も実際には分布を持っていることが考えられます.

そこで,遅い緩和が存在することにより,緩和法測定にどのような影響を与えるかを考えます. 遅い緩和が存在することですべての熱緩和が終わる時間よりも早く温度が一定とみなされてしまい,その結果熱容量をすべて捕らえきれずに測定が終了してしまい,本来の熱容量よりも小さくなることが考えられます. さらに磁場を印加していくと,核スピンの反転はより強く阻害されるため,トンネル準位そのものが定義しにくい状況になり,ショットキー的な熱容量は抑制されていくものと考えられます. 実際 14 T のデータにはトンネル回転の寄与はほとんどあらわれていません. 今後は,メチル基のプロトンをすべてデューテロンに置換した(–CD3)でのトンネル回転の変化を調べていく予定です.

(吉住昌将,中澤康浩)

発 表

吉住昌将,福岡脩平,山本 貴,中澤 康浩,第47回熱測定討論会(桐生),3B1100 (2011).

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