研究紹介 16

高圧,低温,磁場下での Cu 錯体の熱容量
— 圧力誘起強磁性相の探索 —

有機−無機複合錯体は,金属元素に由来するスピンと有機配位子に由来する構造の自由度のために,物質の構造と磁性の関係を研究する上で有効なモデル物質です.中でも,M2(OH)3X(M = Co,Cu,Ni,Mn,X = NO3,CH3CO2,Cl)の組成を持つ化合物は,遷移金属の水酸化物からなる層状構造をもち,2次元的な構造と特徴をもつ磁性体となっています.実際に X を置換して物性を変化させた例として,銅水酸化物では X を NO3 にすると反強磁性体,長鎖のカルボン酸 CH3(CH2)nCO2n = 9,11)にするとフェリ磁性体となるなど配位子による構造の変化と磁性の関係を示唆する結果が知られています.構造を変化させる方法としては,配位子を置換する以外にも外部から圧力を印加する方法があります.同じく銅水酸化物である Cu2(OH)3(CH3CO2)⋅H2O では,常圧で反強磁性体であったものが 1.2 GPa の静水圧の印加によって強磁性体へと変化する圧力誘起反強磁性−強磁性転移の可能性が圧力下磁気測定によって見出されています.そこで我々はこの転移がどのような熱的性質を示すのかについて理解するために圧力下熱容量測定を行いました.


Fig. 1

Fig. 1. Temperature dependence of heat capacity of Cu2(OH)3(CH3CO2)⋅H2O under ambient pressure obtained under 0, 0.1, 0.5 , 1, 3, and 7 T. Sample is coated by Stycast 1266 (a) and Stycast 2850FT (b), respectively.


測定物質は Cu2(OH)3(CH3CO2)⋅H2O です.これは Strasburg 大学の Pierre Rabu 先生らのグループが合成したもので,緑青色で結晶質の粉末試料です.銅原子間の距離や Cu–O–Cu の結合角が少しずつ異なるため,7種類の交換相互作用が競争しており複雑な磁気構造を持っています.測定は 2 mg 程度ペレット状に成型した試料を用い,交流法によって行いました.温度制御,交流熱源そして信号検出に用いた装置群は2010年の本レポート(研究紹介20)で報告した通りです.変更点は,試料の静水圧性を確保するためにコーティングしているエポキシ樹脂を Stycast 1266 から Stycast 2850FT に変えたこと,1.2 GPa 以上で測定する必要があるため圧力セルに CuBe–NiCrAl 複合ピストンシリンダー型圧力セルを用いた点です.前者の変更による常圧下での結果を Fig. 1 に示します.Fig. 1(a) は Stycast 1266,Fig. 1(b) は Stycast 2850FT で試料をコーティングした際のものです.これによると,熱容量測定の結果に反映されるエポキシ樹脂の寄与が減少し熱異常が明瞭に表れるようになったことや高磁場下におけるエポキシ樹脂の寄与の増大が抑制されるなど改善が見られました.


fig. 2

Fig. 2. Temperature dependence of ΔCp of Cu2(OH)3(CH3CO2)⋅H2O obtained under 0, 0.1, 0.5, 1, and 3 T under ambient pressure (a) and 1.4 GPa (b). ΔCp is defined as Cp(H) − Cp(7 T).


Fig. 2 に常圧(Fig. 2(a))と1.4 GPa(Fig. 2(b))における熱容量測定結果を示します.グラフの縦軸は磁気秩序による影響を見るために,それぞれの磁場における熱容量を転移が抑制された 7 T の熱容量で差し引いたものです.常圧下での測定結果では,0 T において 2.2 K と 4.5 K の2か所にピークが見られました.どちらのピークも磁場によって抑制され低温側にシフトしていく反強磁性的な振る舞いが見られました.しかし,0.1 T の弱磁場ではほとんど変化が見られませんでした.一方,1.4 GPa の結果では,0 T において 2.2 K のピークだけが見られました.一方、その磁場依存性は大気圧のそれとは異なり,0.1 T の弱磁場で大きく抑制されました.磁場依存性についてより詳細に調べるために 10 mT や 50 mT といったさらに弱い磁場の印加を行うと,このピークが抑制されながら高温側にシフトしていくという強磁性的に特徴的な振る舞いが見られ,高圧相はバルクの強磁性であることが初めて証明されました.低温側のピークに注目すると,大気圧から 0.6 GPa にかけてはピークが大きく鋭くなっていくのですが,0.6 GPa から 1.2 GPa ではピークの形状がブロードになり反強磁性の中にわずかに強磁性的な成分が現れます.また,1.4 GPa 以上の圧力を印加すると再びピークがブロードになり,反強磁性が支配的になります.これらの複雑な圧力依存性は銅水酸化物層の複雑な交換相互作用の関係によるものであると考えられます.圧力による原子間距離などの変化によって交換相互作用間のバランスが変化し,反強磁性的な秩序状態が有利な状態や強磁性的な秩序状態が有利な状態が現れたのだと示唆されます.

(村岡佑樹,中澤康浩)

発 表

Y. Muraoka, M. Danda, T. Yamamoto, Y. Nakazawa, and P. Rabu, the 66th Calorimetry Conference (CalCon 2011) (Hawaii, USA), 71 (2011).

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