分子磁性体 NNDPP• +· FeIII Br4
熱容量と磁気相転移

「分子磁性体」の一種である「有機−無機コンポジット分子磁性体」は,有機化合物の優れた分子性・設計性と無機化合物の元素の多様性の両方を兼ね備えた分子磁性体として,近年注目されています. 従来の分子磁性体では見られないような特異な空間・磁気・電子構造を生み出す可能性があるため,盛んに合成・研究されています.

Fig. 1 Fig. 1. Molecular structure of NNDPP• +.

ここまでの3つの研究紹介記事(研究紹介5研究紹介6研究紹介7)で,いくつかの有機−無機コンポジット分子磁性体について紹介しました. ここでは,本レポートにおける最後の有機−無機コンポジット分子磁性体に関する紹介記事として, NNDPP• +· FeIII Br4 (NNDPP = 2-(nitronyl nitroxide)-9,10-dipheny-9,10-dihydrolphenazine, Fig. 1) について述べたいと思います. この磁性体も共同研究者である大阪市立大学の岡田惠次教授のグループによって合成されたもので,有機ラジカル陽イオン NNDPP• + と無機陰イオン FeIII Br4 から構成されています. NNDPP• + イオンは2つの不対電子をもっており,それらの電子間には非常に強い強磁性相互作用が働いているので,低温では S = 1 のスピン系と見なすことができます. 一方, FeBr4 イオンは S = 5/2 のスピンをもっています. 結晶化条件の違いにより,同じ空間群でありながら,分子配列の異なる2種類の NNDPP• +· FeBr4 結晶が得られています. ここでは,それぞれ結晶A,結晶Bと呼ぶことにします. 磁気測定が行われており,結晶Aでは,高温で反強磁性的挙動が見られ,3.5 K と 7 K に2つの磁気相転移を示す磁気異常が観測されています. 一方,結晶Bでは,高温でフェリ磁性的挙動を示し,7 K に磁気相転移による磁気異常が見出されています. 何れの結晶でも磁気相転移温度以下で磁気ヒステリシスが観測されていますので,結晶Aはカント反強磁性体(弱強磁性体),結晶Bはフェリ磁性体です. 結晶Aで見られた高温側の磁気相転移は,おそらくわずかに含まれる結晶Bの磁気相転移を捉えたのでしょう. 結晶Aの方が準安定相と思われます. 私たちはこれら2つの結晶多形の熱容量測定を行い,それらの磁気的性質について詳しく調べました.

熱容量測定は Quantum Design 社製の緩和型熱量計 PPMS 6000 を用いて行いました. 測定温度範囲は 0.35 〜 20 K です. また,9 T までの磁場中での熱容量測定も行いました.

Fig. 2 Fig. 2. (Click to enlarge.) Magnetic heat capacities of NNDPP• +· FeBr4 (crystals A (top) and B (bottom)) under magnetic fields. For the sake of clarity, the magnetic heat capacities except for the zero-field magnetic heat capacities are shifted upwards. Solid curves indicate the theoretical heat capacity for high-temperature expansion of S = 3/2 one-dimensional antiferromagnetic Heisenberg model with J/kB = −2.0 K for crystal A and that of S = 5/2 one-dimensional antiferromagnetic Heisenberg model with J/kB = −1.0 K for crystal B, respectively.

Fig. 2 は両結晶の磁場中での熱容量の測定結果から計算された磁気熱容量です. 結晶Aでは磁気測定とほぼ同じ 3.38 K に磁気相転移による熱容量ピークが,結晶Bでも磁気測定とほぼ同じ 6.74 K に磁気相転移による熱容量ピークが観測されました. 幸運にも,今回測定に用いた結晶Aには結晶Bは混在していなかったようです. また,両結晶とも,磁気相転移温度より高温側に低次元磁性体特有の熱容量の裾が見られます. 磁場を増加させるにつれて,磁気相転移温度が結晶Aでは降下し,結晶Bでは上昇して熱容量ピークがブロードになりました. これらの挙動は,それぞれ反強磁性体およびフェリ磁性体に典型的に見られる現象です. ただし,結晶Aでは,2 T 以上で磁気相転移温度が磁場と共に上昇に転じていますので,メタ磁性的になっているのかもしれません.

零磁場での磁気熱容量から磁気エントロピーを求めたところ,結晶Aでは 24.0 J K−1 mol−1, 結晶Bでは 23.8 J K−1 mol−1 となり,何れも NNDPP• + イオンの S = 1 のスピンと FeBr4 イオンの S = 5/2 のスピンの秩序化による期待値 Rln(3×6) (= 24.0 J K−1 mol−1) と非常に良い一致を示しました. したがって,1つ前の研究紹介記事(研究紹介7)の NNTOT• +· FeIII Cl4 の場合と異なり, NNDPP• +· FeBr4 では両方のスピンが同時に秩序化することがわかります.

両結晶について,磁気相転移温度より高温の零磁場での磁気熱容量のデータをハイゼンベルグスピン系の高温展開式を用いて解析したところ,結晶Aでは見かけ上 J/kB = −2.0 K の鎖内磁気相互作用をもつ S = 3/2 の一次元反強磁性ハイゼンベルグスピン系で,結晶Bでは見かけ上 J/kB = −1.0 K の鎖内磁気相互作用をもつ S = 5/2 の一次元反強磁性ハイゼンベルグスピン系で最もうまく再現できました(Fig. 2 中の実線). これらの鎖内磁気相互作用の値と磁気相転移温度から,分子場近似を用いて鎖間磁気相互作用を見積もったところ,偶然にも,両結晶とも同じ値 |zJ′/kB| ≈ 0.28 K が得られました.

今後,両結晶とも,さらに高温側の熱容量測定を行い,両結晶の安定性に関して実験的に確かめたいと思います.

(藍 孝征,宮崎 裕司)

発 表

藍 孝征,宮崎 裕司,増田 有希,倉津 将人,鈴木 修一,小嵜 正敏,岡田 惠次,稲葉 章,第44回熱測定討論会(つくば),1C1420 (2008).

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